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> ティフォージュ城
ティフォージュ城
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**英雄ジル・ド・レの正体 [#y7db87f4] フランスの大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫にあたり、自身も元帥を務め軍総司令官として百年戦争の救世主ジャンヌ・ダルク((1920年にローマ法王庁から聖女の認定を受けているが、彼女への異端審問ならびに魔女裁判は間違いだったという謝罪がないため、彼女は聖女にして魔女という矛盾した存在となってしまった))とともに戦った英雄であった。 ところが戦争終結後、居城のティフォージュ城に戻り、祖父の莫大な財産を相続してからというもの、浪費に異常性癖にと狂気の底にのまれてゆく。 彼は若い時分より同性愛の傾向があり、そんな彼が城で催す宴は淫蕩の極みと言っても良いほど不純に満ちていた。 全裸に近い美少年たちが招かれた客に興奮剤入りの酒を勧めて回り、それを呑んだ客は発情してその場で次々と美少年たちを襲っていったという。そのような宴を毎度のように繰り返し発散していた。 やがてジル・ド・レは親しい僧侶の影響で黒魔術にのめり込んでゆく。悪魔に願いを聞いてもらうには少年の生き血を捧げなければならないと聞き、各地から誘拐してきては生贄として殺害した。 黒魔術への入信は貴族階級の人間の逸話を紐解くと稀ではない。夫への不信感や精神異常をきたしている人間を言葉巧みに誑かし、黒魔術の世界に没頭させ身を滅ぼす話は調べるとある。 ジル・ド・レの場合、生まれ持った性倒錯の異常性がジャンヌ・ダルクというカリスマを失った失意により、あらぬ方向へ悪化していったのだと思われる。 そのせいか、彼の殺害方法は異常であった。儀式のため必要だったか否かはさて置き、生贄を捧げる殺害方法は正気の沙汰ではない。 まず部下に命じて少年を天井から吊るす。少年が苦痛に顔を歪めると床に下ろしてやり「もう心配するな、俺が助けてやる」と優しく声をかける。少年の顔に安堵が見えた瞬間、ナイフを突き刺す。 床に頽れた少年の体中にこれまたナイフを突き立て絶命させるのだ。死体となった少年の体はひとしきり弄び、犯し飽きれば内臓を引っ張り出して首と胴体を切り離した。 生贄のために殺された少年の数は600人にも上るという(別の説では1500人と言われている)。荒んだ生活を送っていたジル・ド・レは領有権問題から端を発した聖職者の拉致監禁の罪により告発ののち逮捕された。 1440年、公開裁判の結果洗い浚いを懺悔し絞首刑の判決が下る。皮肉にも刑に処された後の死体はジャンヌ・ダルクと同じ火刑によって処分された。観衆はみなジル・ド・レの魂が救われるようじっと祈りを捧げたという。 }}}
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ナントとポワチエを結ぶ街道にティフォージュ城は築かれた。ナントの地はアンリ4世の「ナントの勅令」(1598年)でよく知られた街である。 ジル・ド・レ侯爵が居住していた城として有名だが、別名を「靑髭の城」((シャルル・ペローが執筆した童話「青髭」のモデルがジル・ド・レと言われていることに由来する))ともいう。目立った特殊性もなく伝統に則った風貌がかえって個性に思える造りである。 南東の塔(キープ)は12世紀に築造され、様式はロマネスク様式であった。焼失にあったり、有用性が失われた末に解体されたりもしたが城壁や城門のもろもろはまだ残っている。 塔はもともと高さを24メートルとしていたが測定した結果せいぜい18メートル程度であったようだ。特徴としては角部に設けられた平坦なコントルフォール(バットレス)が挙げられる。 コントルフォールは壁体を支持するために設けられた突出部であり、日本では「控え壁」の方が馴染みはあるだろう。 #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }} #style(class=submenu){{ この城を含むティフォージュの地は1420年にジル・ド・レの妻カトリーヌ・ド・ティフォージュの持参金の一つで、百年戦争の終結後、ジル・ド・レの隠遁場所となった。 1520年にはシャルル子爵であったジャン2世・ド・ヴァンドゥーム((ジル・ド・レ処刑後のカトリーヌの再婚相手))の名を冠した塔が門の上に築造されており、ヴァンドゥーム塔と呼ばれる。 その後、城は所有者を転々としながら戦火に巻き込まれてゆく。 1569年には宗教戦争によって焼失し、1626年には勅令によって解体された。 }} |BGCOLOR(#ddd):100|370|c |所在地|château de Tiffauges, 85130 Tiffauges, フランス| |現存状態|一部現存| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){英雄ジル・ド・レの正体(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **英雄ジル・ド・レの正体 [#y7db87f4] フランスの大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫にあたり、自身も元帥を務め軍総司令官として百年戦争の救世主ジャンヌ・ダルク((1920年にローマ法王庁から聖女の認定を受けているが、彼女への異端審問ならびに魔女裁判は間違いだったという謝罪がないため、彼女は聖女にして魔女という矛盾した存在となってしまった))とともに戦った英雄であった。 ところが戦争終結後、居城のティフォージュ城に戻り、祖父の莫大な財産を相続してからというもの、浪費に異常性癖にと狂気の底にのまれてゆく。 彼は若い時分より同性愛の傾向があり、そんな彼が城で催す宴は淫蕩の極みと言っても良いほど不純に満ちていた。 全裸に近い美少年たちが招かれた客に興奮剤入りの酒を勧めて回り、それを呑んだ客は発情してその場で次々と美少年たちを襲っていったという。そのような宴を毎度のように繰り返し発散していた。 やがてジル・ド・レは親しい僧侶の影響で黒魔術にのめり込んでゆく。悪魔に願いを聞いてもらうには少年の生き血を捧げなければならないと聞き、各地から誘拐してきては生贄として殺害した。 黒魔術への入信は貴族階級の人間の逸話を紐解くと稀ではない。夫への不信感や精神異常をきたしている人間を言葉巧みに誑かし、黒魔術の世界に没頭させ身を滅ぼす話は調べるとある。 ジル・ド・レの場合、生まれ持った性倒錯の異常性がジャンヌ・ダルクというカリスマを失った失意により、あらぬ方向へ悪化していったのだと思われる。 そのせいか、彼の殺害方法は異常であった。儀式のため必要だったか否かはさて置き、生贄を捧げる殺害方法は正気の沙汰ではない。 まず部下に命じて少年を天井から吊るす。少年が苦痛に顔を歪めると床に下ろしてやり「もう心配するな、俺が助けてやる」と優しく声をかける。少年の顔に安堵が見えた瞬間、ナイフを突き刺す。 床に頽れた少年の体中にこれまたナイフを突き立て絶命させるのだ。死体となった少年の体はひとしきり弄び、犯し飽きれば内臓を引っ張り出して首と胴体を切り離した。 生贄のために殺された少年の数は600人にも上るという(別の説では1500人と言われている)。荒んだ生活を送っていたジル・ド・レは領有権問題から端を発した聖職者の拉致監禁の罪により告発ののち逮捕された。 1440年、公開裁判の結果洗い浚いを懺悔し絞首刑の判決が下る。皮肉にも刑に処された後の死体はジャンヌ・ダルクと同じ火刑によって処分された。観衆はみなジル・ド・レの魂が救われるようじっと祈りを捧げたという。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)