御城プロジェクトRE 城プロRE 攻略 Wiki
[
ホーム
|
リロード
|
新規
]
サイト内検索
:
[
差分チェッカー
]
[
アップローダー
]
【楽天スーパーDEAL】毎日更新・最大50%ポイントバック!!(広告)
Tweet
Top
> 真田丸
真田丸
の編集
***日本一の兵・真田信繁 [#xe35be49] 『難波戦記』では真田幸村とされる真田信繁の生涯は詳らかではないが、慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけた大坂の陣の活躍により、『薩摩旧記雑録』では「真田日本一の兵」と評された。 なお『難波戦記』については誤解されがちだが、江戸幕府の阿部忠秋、二階堂行憲が共同で執筆・編纂した史料であり、軍記物ではあっても講談用に書かれたものではない。 以下、信繁の生涯について判明している範囲で説明する。 #br 当初、信繁は昌幸の次男として滝川一益、木曾義昌、上杉景勝の人質となったが、第一次上田合戦で徳川軍と戦ったのち、昌幸が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に服属するとその馬廻として1万9000石の知行を有した。 #br 秀吉の死後、石田三成と徳川家康の関係が悪化すると、犬伏の別れ(正しくは昌幸・信繁が在陣した天明宿に、犬伏宿に在陣した兄・信幸(のちの信之)が訪問したものと思われる)により、東軍に属した信幸と袂を分かち、昌幸とともに西軍に属した。 西軍の敗北後は、信幸と本多忠勝の取り成しにより昌幸とともに一命は取りとめ、九度山に移ることとなったが、生活は困窮を極めたらしく、真田家の家臣に対して金銀や焼酎を所望する様子が書状に残っている。 この頃、真田紐という紐を開発し生計を立てていたという俗説があるが、寄生虫のサナダムシはこれに形が似ていたため名付けられたといい、家康は晩年サナダムシによって具合を悪くしたと思い込み「真田は虫になっても苦しめる」と言ったという逸話まである。 #br 昌幸の死後は、豊臣家の要請により大坂城に入城、冬の陣では真田丸を築き、前田利常の先鋒に大きな被害を与えたが、あくまで局地戦に過ぎず豊臣家は和睦の道を選んだ。 夏の陣では道明寺の戦いで後藤又兵衛基次(正親とも)を救援しようとし間に合わなかったが(俗に濃霧により出陣が遅れたという)、殿軍を務めて伊達政宗による追撃を阻止し、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と嘲笑したという。 その後は家康の本陣まで突入するほど活躍し、家康も自害を覚悟したというが押し返され、逃走したところ西尾宗次に討ち取られた。 通説では無抵抗で首を差し出したとされてきたが、近年の新史料により槍を交えて戦ったことが判明し、場所も安居神社ではなかったとされる。 #br なお、幸村の名乗りについて、文化6年(1809年)には徳川幕府からの問い合わせに対して松代藩は「大坂入城後に名乗った」と説明している。 しかし、実際は大坂入城後の書状でも信繁と名乗っており、水戸黄門として知られる徳川光圀も「幸村という名は誤り」と否定している。 #br }}
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''真田丸(さなだまる)''| |&attachref(./真田丸S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/真田丸.png,nolink);|図鑑No.|126| |~|>|~|レア|4| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平.png,nolink);| |~|>|~|令制国|摂津| |~|>|~|武器属性|[[槍]]| |~|>|~|最大レベル|105| |~|実装日|>|>|2016年04月12日| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|7|消費気((基本消費気を含みます))|63| |~|耐久|1767/&color(Red){(2290)};|耐久|3321/&color(Red){(4122)};| |~|攻撃|87/&color(Red){(206)};|攻撃|149/&color(Red){(337)};| |~|防御|68/&color(Red){(204)};|防御|127/&color(Red){(318)};| |~|射程|200/&color(Red){200};|射程|328/&color(Red){328};| |~|回復|10/&color(Red){31};|回復|14/&color(Red){45};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 防御強化・弐|>|>|>|自身の防御が27%上昇| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 真田赤備え|>|>|>|自身の防御が27%上昇&br;計略のダメージが15%上昇| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 集中砲火(使用まで30秒:消費気7)|>|>|>|【火属性】範囲内の敵に攻撃の3倍の&br;ダメージを与える(範囲:小[&color(Red){90};])| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 集中砲火(使用まで30秒:消費気7)|>|>|>|~| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|大坂冬の陣の際、大坂城殿の南方を&br;御守りする為に築城された出城、&br;真田丸と申します。&br;&br;東西180メートルほどの三日月状の曲輪で、&br;甲州流築城術の丸馬出を原型とした構造だった&br;といわれています。&br;&br;大坂城殿の総構えに直接攻撃をさせず、&br;拙者が盾となり敵の攻撃自体を支える役割を&br;果たしていました。| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|01:40:00| |[[戦術指南所]]|[[初級:計略の使い方>戦術指南所/初級-3]]の初回クリア報酬| //#style(class=submenuheader){{ -''[[城娘改築]]'' //}} //#style(class=submenu){{ //}} //#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{ |>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c | | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h |~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h |>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c |>|無印|4|4|7|56|63|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|200/&color(Red){200};|10/&color(Red){31};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|328/&color(Red){328};|14/&color(Red){45};| |>|改壱|5|4|6|49|55|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|200/&color(Red){200};|10/&color(Red){32};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|328/&color(Red){328};|14/&color(Red){47};| //}} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ #include(真田丸/ステータス,notitle) }} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] -概要 かつては[[柳川城]]とは別の形で城プロ:REの顔となっていた城娘。中レアでは貴重な平城の槍という立場。 武器種の関係上打たれ弱く、特技の防御強化の恩恵を込みでも高火力な兜の進軍を正面で受け止めるのは難しい。 進軍ルートから少し離れたところに配置したり、配置する順番を調整しツーマンセルで行動したりと何らかのフォローをしてあげたい。 惜しむらくは[[戦術指南所]]で手に入る1体以外はキャンペーンや特殊築城などを介さないと入手が難しいという点。 //未限凸などの状況にある殿は、チャンスがあれば逃さないようにしたい。 (「超特殊築城」を「特殊築城」として常設化![21/03/16]の前に書かれた記述です) とはいえ特殊築城で常時確率上昇するようになったため、限凸に困る場面も減っただろう。 -計略「集中砲火」 //クールタイムが僅か30秒と、再装填が早いことが売りのダメージ計略。炎系の計略のため追加効果はない。 クールタイムが僅か30秒と、再装填が早いことが売りのダメージ計略。【火属性】の計略で追加効果はない。 攻撃範囲が狭く、コストが7、そしてダメージが槍の火力から算出されるため、ダメージが伸びず、大型兜・ボスには不向き。 ただしダメージの倍率自体は攻撃の3倍と高く、最大化時はある程度頼れる。特にダメ押しには連射性の高さもあって役立つ。 この計略を活かすために、攻撃力重視の武器を選ぶという選択肢もある。 -改築 1周年を記念して[[柳川城]]、[[春日山城]]とともに実装。 柳川城のように人によっては悩む要素もなく、築城で手に入る貴重な平属性の槍として、属性統一編成等での戦力アップも見込める。 実装当時とは違い、改築のコスパアップだけでなく、属性一致のコストカットもあるためこれは是非とも活かしたいところ。 2021年3月の上方修正により特技に計略ダメージ15%アップが追加された。 元々高倍率だが更に頼もしくなった。同アップデートで消費気も7に減っており使いやすくなっている。 -余談 「リリース記念登録キャンペーン」で2016年4月5日までにゲーム登録することで先行配布された城娘で、配布最終日以降は築城のみで入手可能。 先のキャンペーン後では「Android配信キャンペーン」として、2016年6月10日までにAndroid版にログインしたユーザーにも2016年6月14日メンテ後に配布されている。 昔はゲームの顔役だったこともあり、母娘の関係ということになっている[[上田城]]や主の[[躑躅ヶ崎館]]絡みのイベントではよく出演する。 真面目で向上心の強い性格からか、多くの大物城娘から目にかけられており、母以外にも彼女を気にかける城娘は多い。 イベントでは[[躑躅ヶ崎館]]や[[春日山城]]が競い合うキッカケになるといった展開も。 また、軽く失踪して騒ぎになった際は[[新宮城]]や[[吉田郡山城]]などが連れ込んだと疑われる辺り、彼女達の好みのタイプでもあるらしい…。 ☆6[[[夏]真田丸]]が2019年7月に、☆7[[[裏]真田丸]]が2023年5月に実装された。 -性能の変遷 #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){詳細(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ --2017/03/28:[改壱]を追加 --2018/01/16:ステータスの上方修正 ---特技:防御強化・弐 自身の防御が上昇する効果を25%から27%に上方修正 --2021/03/16:「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正 ---計略:集中砲火 計略消費気を9から7に軽減 ---[改壱]特技を「防御強化・弐」から「真田赤備え」に強化 計略のダメージが15%上昇する効果を追加 --2022/05/31 火属性の特性を持つダメージ計略の説明文に【火属性】の記載を追加 }} *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[近藤玲奈>https://twitter.com/reina_kondo]] #region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |入手|入手|大坂城殿の命により参上、&br;赤備えの兵・真田丸にございます。&br;御屋形様のため、忠義を尽くして戦いましょう!| |所領|所領1|戦の前に食べる物といえば、こねつけ餅に限ります。御屋形様もいかがですか? 美味ですよ。| |~|所領2|尼子十勇士ですか? 聞いたことありませんね。真田十勇士のマネでしょうか? ははは、片腹痛いですね。| |~|所領3|大坂城殿を守るため、その為に生まれてきました。拙者の心、体、命すべては大坂城殿の物なのです。| |~|変身|日本一の兵、真田丸参る!| |~|変身解除|広い場所で駆け回るのは、気持ちのよいものですな。| |~|ダメージ1|ここは耐え忍ぶ時です。功を急いではなりません。| |~|ダメージ2|大坂城殿が爆発……!?内通者か!| |出陣|出陣|御屋形様を、死なせはしません。拙者が、命に代えて守りますゆえ。| |~|委任出撃|御屋形様の命とあらば。どこへでも。| |~|編成1|ここは討って出るべき。籠城は尚早にございます。| |~|編成2|士気向上の為、大坂城殿と共に出陣させて下さい。| |合戦|つままれ|ゆくぞ! 敵本陣の馬印は何処だ!| |~|配置|狙うは、大将兜の首、ただひとつのみ!| |~|選択|敵本陣めがけ、真一文字に特攻せよ!| |~|巨大化|敵の攻撃を受け止めるが出城なり!| |~|特技発動|敵軍は、私が一手に引き受けよう。| |~|計略発動|冥途への六文銭、括目するが良い!| |~|大破|拙者を討ち取った事……お主の手柄にされよ。| |~|勝利|褒美に、焼酎をどうかこの壺に……おおぉ~、かたじけない。| |~|敗北1|不覚!拙者が、霧で道に迷ったばかりに……。| |~|敗北2|無念……!御屋形様は、抜け穴よりお逃げ下さい。| |その他|合成|かたじけなし。もっと堀を深く、塀を高くしましょう。| |~|放置|御屋形様。淀城殿が、大坂城殿のマネージャーをされておるのですが、全く融通が利かず、困っております。何とか、なりませんか。| |~|おかえり|御屋形様、お待ち申しておりました。鮭を2匹頂いたので、一緒に食べませんか。| |~|ありがとう|感謝致します。| |~|出陣画面(図鑑未登録)|冥途への六文銭、括目するが良い!| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|BGCOLOR(#fbd):手強そうだな。|もちろんでございます、御屋形様。| |~|本当に大丈夫か?|私を信じてくださらぬのですか。| |イベント2|それなりに頑張ったんだな。|はっ……おそれいります。| |~|BGCOLOR(#fbd):見事な働きだったんだな。|恐悦至極にございます。| |イベント3|無駄死にだったんだな。|殿、それはあまりな言われようです。| |~|BGCOLOR(#fbd):無念だったろうな。|私も落涙を禁じ得ませぬ。| }} #endregion #endregion *画像 [#image] イラストレーター:[[九十九>https://twitter.com/tukumo99]] |&attachref(./入手.jpg,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./真田丸御嬢.png,50%);|&attachref(./真田丸城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./真田丸 大破.png,50%);|&attachref(./真田丸 特技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#imakai1] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./真田丸御嬢.png,51%);|&attachref(./真田丸改壱 城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./真田丸改壱 大破.png,50%);|&attachref(./真田丸改壱 特技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *城娘の元ネタ情報 [#note] //※※※注意事項※※※ //元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。 //中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。 【デザイン】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //次の6行を使って折りたたんでください。 //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【特技・計略】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //次の6行を使って折りたたんでください。 //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【セリフ】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){六文銭(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 日本における仏葬の副葬品である「冥銭」の事で「六道銭」とも。 日本の家紋「銭紋」の一種で「六連銭」とも。特に真田氏のものを指して「真田銭」という事も。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){こねつけ餠(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 信濃の国は、内陸にあり水はけが十分ではなく、米作りが盛んにおこなわれなかったため、米は貴重な食べ物だった。 そこで、食後余った米粒を水に戻して干し米にしたり、小麦粉を足して焼いたりして保存食としていた。 真田こねつけ餅は、余った米を水に浸して洗い小麦粉と混ぜ、それに卵や味噌を包んで小丸型に丸め、フライパンで両面を焼いて作る。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){尼子十勇士(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 戦国大名尼子氏滅亡後、尼子氏の復興に勤めたとされる10人の勇士。 尼子晴久が部下4万人余りの中から選び出した、山中鹿之助(山中幸盛)を筆頭とする10人の勇力の優れた人物だとされる。 「尼子十勇十介」ともいわれる。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){真田十勇士(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ あくまで伝承上の架空の人物であるが、講談で親しまれた真田幸村(真田信繁)に仕えたとされる10人の家臣からなるキャラクターである。 基本的な構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊左入道、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の10人となっているが、作品によって差異が見られる。 }} }}} *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と評された真田信繁(俗に幸村)によって、豊臣方対徳川方である大坂冬の陣の際に大坂城平野口の南に築かれた出城。 真田家を乗せた船という意味で、平成28年(2016年)の大河ドラマのタイトルにもなった。 通説では防御が手薄な部分を守るために築かれたとされてきたが、近年では千田嘉博氏により「[[大坂城]]の最弱部は真田丸の西のあたりであり、真田丸に敵の注意を引きつけ、大坂城の真の弱点を見逃しやすくした」と指摘されている。 本体は大きな丸馬出、あるいは矩形に近い五角形の形状で、背後に小さな曲輪が配置された二重構造、塀は二段構造で上下から鉄砲が撃てたと思われる。 旧説では大坂城との行き来が可能な砦と見られていたが、堀で遮断され完全に独立した出城だったと見られている。 #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }} #style(class=submenu){{ 真田丸の当初の呼び名は不明だが、大坂夏の陣の頃には徳川方に名付けられており、埋め立てられてなお「真田丸を通って大坂城に侵入した」といった記述が確認できる。 真田山公園および真田山町という地名が存在するが、これらは明確な根拠があって名付けられたものではなく、また三光神社には「真田の抜け穴」と呼ばれる跡が残っているが、こちらは徳川方による坑道か塹壕と思われる。 実際には現地をレーダー探査したことで大阪明星学園が跡地であるとほぼ特定され、平成28年(2016年)に顕彰碑が建てられた。 #br 平成28年(2016年)7月12日に松江歴史館が「新たに真田丸の絵図が発見された」と発表した絵図は、これまで最も詳しいとされてきた『諸国古城之図「摂津真田丸」』よりも古いものであるとみられる。 それによれば南側に「惣構堀」があったとされ、北側の小さな曲輪には「出丸」があったという。 さらに東側には側面を防御する「腰曲輪」があったことから、千田嘉博氏は真田丸が独立性の高い出城だったとの見解を深めている。 #br 平成28年(2016年)12月9日、初めての学術的な発掘調査が専門家と地元の住民などで作る民間団体により行われた。 が、それらしき遺構は確認できなかった。今後の調査に期待したい。 }} |BGCOLOR(#ddd):100|200|c |所在地|大阪府| |現存状態|なし| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){真田丸の戦い(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***真田丸の戦い [#td4bcb26] 方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川家との関係が悪化した豊臣家の要請により大坂城に入城した真田信繁(俗に幸村)によって真田丸が築かれた。 軍記物では、後藤又兵衛基次(正親とも)も信繁と同様に出城を築こうとしたが、信繁の兄・信幸(のちの信之)が徳川方であったこともあり内通を疑われていたために信繁に武功を立てる機会を譲ったという。 だが、そもそも豊臣方は木津川口砦など真田丸以外にも砦を築いており、当初からの計画を信繁を受け持ったというのが実情であると思われる。 #br 慶長19年12月4日(1615年1月3日)、前田利常勢の先鋒であった本多政重、山崎長徳らは篠山より真田勢の妨害を受け、篠山を奪取しようと攻め上がったが、既にもぬけの殻で真田勢に挑発された。 その挑発に乗って、利常の命令を待たずに真田丸に攻めかかったところ、銃撃を浴びせかけられた。 しかも、石川数正の次男で豊臣方の康勝の陣所で失火による爆発事故が起こり、これを徳川方に内通していた南条元忠の裏切りの合図と勘違いした井伊直孝、松平忠直勢はさらに激しく攻めかけ、竹束や鉄楯を持たなかったために甚大な損害を被った。(実際は既に元忠の内通は豊臣方に露見し切腹させられていた) 一説には、大坂冬の陣での徳川方の死者のうち8割が真田丸の戦いで戦死したとされるほどの戦果であり、宣教師をして「まるで鉛の涙を見るくらい信じられない」「大虐殺」と言わしめた。 又兵衛の近習・長沢九郎兵衛によると真田丸は「真田と長宗我部(盛親)で半分ずつ受け持っていた」という。その後、和睦により、大坂城の二の丸、三の丸とともに埋め立てられた。 #br }} #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){日本一の兵・真田信繁(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***日本一の兵・真田信繁 [#xe35be49] 『難波戦記』では真田幸村とされる真田信繁の生涯は詳らかではないが、慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけた大坂の陣の活躍により、『薩摩旧記雑録』では「真田日本一の兵」と評された。 なお『難波戦記』については誤解されがちだが、江戸幕府の阿部忠秋、二階堂行憲が共同で執筆・編纂した史料であり、軍記物ではあっても講談用に書かれたものではない。 以下、信繁の生涯について判明している範囲で説明する。 #br 当初、信繁は昌幸の次男として滝川一益、木曾義昌、上杉景勝の人質となったが、第一次上田合戦で徳川軍と戦ったのち、昌幸が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に服属するとその馬廻として1万9000石の知行を有した。 #br 秀吉の死後、石田三成と徳川家康の関係が悪化すると、犬伏の別れ(正しくは昌幸・信繁が在陣した天明宿に、犬伏宿に在陣した兄・信幸(のちの信之)が訪問したものと思われる)により、東軍に属した信幸と袂を分かち、昌幸とともに西軍に属した。 西軍の敗北後は、信幸と本多忠勝の取り成しにより昌幸とともに一命は取りとめ、九度山に移ることとなったが、生活は困窮を極めたらしく、真田家の家臣に対して金銀や焼酎を所望する様子が書状に残っている。 この頃、真田紐という紐を開発し生計を立てていたという俗説があるが、寄生虫のサナダムシはこれに形が似ていたため名付けられたといい、家康は晩年サナダムシによって具合を悪くしたと思い込み「真田は虫になっても苦しめる」と言ったという逸話まである。 #br 昌幸の死後は、豊臣家の要請により大坂城に入城、冬の陣では真田丸を築き、前田利常の先鋒に大きな被害を与えたが、あくまで局地戦に過ぎず豊臣家は和睦の道を選んだ。 夏の陣では道明寺の戦いで後藤又兵衛基次(正親とも)を救援しようとし間に合わなかったが(俗に濃霧により出陣が遅れたという)、殿軍を務めて伊達政宗による追撃を阻止し、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と嘲笑したという。 その後は家康の本陣まで突入するほど活躍し、家康も自害を覚悟したというが押し返され、逃走したところ西尾宗次に討ち取られた。 通説では無抵抗で首を差し出したとされてきたが、近年の新史料により槍を交えて戦ったことが判明し、場所も安居神社ではなかったとされる。 #br なお、幸村の名乗りについて、文化6年(1809年)には徳川幕府からの問い合わせに対して松代藩は「大坂入城後に名乗った」と説明している。 しかし、実際は大坂入城後の書状でも信繁と名乗っており、水戸黄門として知られる徳川光圀も「幸村という名は誤り」と否定している。 #br }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)