御城プロジェクトRE 城プロRE 攻略 Wiki
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> 会津若松城
会津若松城
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*城娘の元ネタ情報 [#note] //※※※注意事項※※※ //元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。 //中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。 [[【出張版】教えて!れきしクン!]] 第07陣にて公式解説あり。 【デザイン】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){本(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 本に書いている文字は「きりこれくしょん」である。左右反転すると分かりやすい。 会津を流れる只見川を上ると川霧で有名な霧幻峡があり、6月~9月上旬頃、特に早朝と夕方によく発生する。 また、観光渡し船「霧幻峡の渡し」が行われている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){カチューシャ(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の郷土玩具の「赤べこ」と思われる。 蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から伝わったのが始まりと言われている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){ペンダント(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 首から十字架のペンダントをかけているが、 これは蒲生氏郷が天正12(1584)年にキリシタンに改宗した為だと思われる }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){家紋(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 胸元の家紋は蒲生氏は対い鶴か三つ巴で明らかに違うので、 その後に入城した保科正之の「会津三葵」と思われる。 }} //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【特技・計略】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){八重桜乱(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【セリフ】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){什の掟(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津藩の9歳以下の男子10人前後で構成される「什」では、最年長の什長によって以下の掟が毎日唱和されていた。 >一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ 一、戸外で物を食べてはなりませぬ 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ < そして最後に「ならぬことはならぬものです」と結ぶと、掟を守っていたかの反省会をし、違反者とされた子には「審問」が行なわれた。 掟に背いていた場合は最も重い処罰で「派切り(はぎり)」、つまり絶交という子供らしい制裁が加えられていた。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){荒城の月の件(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 歌曲「荒城の月」は中学唱歌の懸賞のために作られた土井晩翠の詩に滝廉太郎が曲を付ける形で誕生(後に山田耕筰が編曲)した日本人が初めて制作した西洋音楽に基づく歌曲である。 詩は江戸時代から明治時代に移った世の無常の姿を打ち捨てられた城の姿を通じて鮮やかに浮かび上がらせているが、この城のモデルは複数かつ諸説あり明瞭な結論が出ていない。 この中でも、一番の歌詞は土井晩翠の誕生の地であり後半生を過ごした仙台の[[仙台城]]を指すと主張され、二番の歌詞は戊辰戦争における会津若松城を指すと主張されており、両者に歌碑が設置されている。 その他晩翠に林檎狩りで訪れたことがある[[九戸城]]にも歌碑がある。 また、詩は上杉謙信の『九月十三夜陣中作』を意識したものであると土井晩翠が述べていることから、[[富山城]]、[[石動山城]]、[[七尾城]]にも土井晩翠が訪れた記録があり、その影響も否定できない。 ちなみに作曲の滝廉太郎は曲のイメージを[[富山城]]、[[岡城]]から得たとされており、両者に滝廉太郎の銅像が設置されている。([[岡城]]には滝廉太郎の死後晩翠の手による歌碑が設置されている) }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){べこの人形(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の伝統的な郷土玩具である赤べこのこと。 由来は諸説あるが、平安時代に疫病を赤い牛がはらったという伝説などが知られている。 また江戸時代には黒い斑点を持つ赤べこを作ることで天然痘流行を防いだという伝承などもあり、疫病よけのためのまじないという位置づけが強かったようである。 近年では赤べこをモチーフとした「あかべぇ」が会津地方のマスコットとして登場し、鉄道車両などのモチーフとして使われていた他、現在でも会津若松市の市内周遊バスのデザインに用いられている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){会津漆器(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の伝統工芸品の1つ。会津塗とも呼ばれる。 蒲生氏郷が近江から移ってきた際に元の所領で作られていた日野塗の職人を連れてきたことに始まるとされており、17世紀半ばまでには江戸へ出荷されるなど会津の主産業に発展した。 明治以降も海外への輸出品目の1つにあげられるなど多いに栄えたが、戦後生活様式の変化に伴い産業としては衰退し他の伝統工芸品同様後継者不足などの問題に苦しんでいる。 }} }}}
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''会津若松城(あいづわかまつじょう)''| |&ref(会津若松城SS.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/会津若松城.png,nolink);|図鑑No.|010| |~|>|~|レア|4| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平山.png,nolink);| |~|>|~|令制国|陸奥| |~|>|~|武器属性|[[鉄砲]]| |~|>|~|最大レベル|105| |~|実装日|>|>|旧城プロ| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|11|消費気((基本消費気を含みます))|100| |~|耐久|997/&color(Red){(1702)};|耐久|1874/&color(Red){(3063)};| |~|攻撃|102/&color(Red){(376)};|攻撃|175/&color(Red){(616)};| |~|防御|38/&color(Red){(146)};|防御|71/&color(Red){(245)};| |~|射程|340/&color(Red){340};|射程|557/&color(Red){557};| |~|回復|10/&color(Red){31};|回復|14/&color(Red){45};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 防御強化【射程】・弐|>|>|>|射程内の城娘の防御が17%上昇| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 八重桜乱|>|>|>|自身の攻撃が25%上昇&br;射程内の城娘の防御が17%上昇| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印]|>|>|>|なし| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};]|>|>|>|~| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|戦国時代末期、伊達政宗を監視するために&br;私、会津若松城が生まれたのです。&br;&br;別名の鶴ヶ城って響きもけっこうお気に入り。&br;七重にも重なる天守閣の屋根には&br;赤瓦葺が使われています。&br;&br;どうです?美しいでしょ?&br;もっと褒めてもいいんですよ?| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|02:00:00| |''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};| //#style(class=submenuheader){{ -''[[城娘改築]]'' //}} //#style(class=submenu){{ //}} //#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=close,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{ |>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c | | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h |~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h |>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c |>|無印|4|4|11|89|100|997/&color(Red){?};|102/&color(Red){?};|38/&color(Red){?};|340/&color(Red){340};|10/&color(Red){31};|1874/&color(Red){?};|175/&color(Red){?};|71/&color(Red){?};|557/&color(Red){557};|14/&color(Red){45};| |>|改壱|5|4|10|83|93|1115/&color(Red){?};|116/&color(Red){?};|43/&color(Red){?};|340/&color(Red){340};|10/&color(Red){32};|2096/&color(Red){?};|199/&color(Red){?};|80/&color(Red){?};|557/&color(Red){557};|14/&color(Red){47};| //}} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ #include(会津若松城/ステータス,notitle) }} //-''[[城娘改築]]'' //#table_edit2(,table_mod=close){{ //||~レア|~&size(10){消費気};|~&size(10){巨大&br;化数};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h //|~|~|~|~|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h //|BGCOLOR(#ddd):CENTER:50|>|>|CENTER:30|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(10):60|c //|無印|4|12|4|887/&color(Red){1525};|97/&color(Red){315};|37/&color(Red){123};|320/&color(Red){320};|10/&color(Red){27};|1596/&color(Red){2745};|159/&color(Red){516};|60/&color(Red){201};|499/&color(Red){499};|10/&color(Red){27};| //|改壱|5|12|4|921/&color(Red){?};|103/&color(Red){?};|38/&color(Red){?};|320/&color(Red){320};|10/&color(Red){26};|1657/&color(Red){?};|168/&color(Red){?};|62/&color(Red){?};|499/&color(Red){499};|10/&color(Red){26};| //}} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] -概要 平山属性の鉄砲武器種の☆4城娘。計略を持たず鉄砲にしては消費気が軽い。 特技は射程内の防御強化だが、改築で自身の攻撃上昇が追加される。 アタッカーとしてもサポート役としても有能となるため、手持ちにもよるが優先して改築して良いだろう。 -特技「防御強化【射程】・弐」 射程内の城娘の防御が17%上昇する。序盤は頼れるが、数値自体は低く、徐々に物足りなくなる。 特技・計略による割合バフの仕様により、味方が特技を発動させると無為になることも多い。 デコイ役になることが多い近接に向いている。自身をはじめとした低防御の遠隔に対しては多少場持ちがよくなる程度の効果。 攻撃強化系の火力重視ユニットを生存させつつ、自身の鉄砲の火力による援護が可能となる。 //全鉄砲使い中、同特技持ちではコストが低く、早い段階で特技及び鉄砲の火力を発揮でき、地形一致なら尚の事なので扱いやすい。 同系統の[[小田原城]]や[[宇和島城]]とポジション争いになりやすいが、こちらは入手性と特技コスト削減で採用の芽がある。 -改壱特技「八重桜乱」 従来までの射程内防御17%バフに加え、自身の攻撃も25%上昇と大きく強化される。 巨大化回数4回にして、その火力は巨大化5回分の[[小田原城]]をも上回る。 巨大化4回というのがむしろ特技発動ハードルの低さという長所になりうるのも特徴。 激戦区たる平山鉄砲にあって、高レアに比肩する性能を誇っている。とはいえ、巨大化1回分の射程差は決して小さくないので注意。 #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){会津若松城改壱と根来城改壱の比較(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ 会津若松城改壱の方が攻撃のステータス値が9%ほど高く、特技によるバフは若干低くても最終的な攻撃が高い。 配置と巨大化に必要な気も不一致マップで17軽く、鉄砲による攻撃や射程内防御上昇を求める場合に適している。 [[根来城改壱>根来城]]は、赤マス配置の伏兵や特技による射程10上昇が欲しいといった場面に合うだろう。 }} -余談 前作では[[東黒川館]]→[[黒川城]]→会津若松城という風に、改築前後という関係性だった。 黒川城からここに至るまでに一体何があったのだろうか……蒲生氏郷なら知っているかもしれない。 なお、特技カットイン時の御美脚がとても艶かしいので必見。&color(Silver){そのポーズと装備から某武力介入する狙撃MSを彷彿とする殿も。}; 2022年01月に☆7[[[絢爛]会津若松城]]が実装された。 -性能の変遷 --2016/04/26:[改壱]のレアリティ1上昇、能力値を変更 ---[改壱]特技を「八重桜乱」に変更(範囲内の城娘の防御が15%上昇 自身の攻撃が25%上昇) --2018/01/16:特技、ステータスの上方修正 ---特技:15→17% --2021/03/16:「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正 --2021/09/28:[改壱]の基本消費気-1、耐久・攻撃・防御を上方修正 *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[中村桜>https://twitter.com/sakura__n]] #region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |入手|入手|会津若松城、ただ今参りました。&br;決死の覚悟でこの地を守護します。&br;どうぞお見知りおきを!| |所領|所領1|殿、会津漆器の器はいかがですか。とても美しく頑丈に造られるのですよ。お土産としても、きっと喜ばれると思います!| |~|所領2|仙台城がまた因縁を!? まったく、あの子は変わりませんね……。この際、荒城の月の件もハッキリさせましょうか!?| |~|所領3|殿、什の掟を作ってみましたどうですか? できれば、殿には……私以外の娘とおしゃべりして欲しくはないのですが……| |~|変身|いざ変身、巨大化ー!| |~|変身解除|殿、ただ今戻りました。| |~|ダメージ1|我が鉄門(くろがねもん)はそう簡単に壊れぬぞ!| |~|ダメージ2|た、大砲の音に怯んではなりません……!| |出陣|出陣|この命が果てるまで、私がお守り致します。| |~|委任出撃|必ずや、ご期待に応えて見せましょう。| |~|編成1|会津の誇り、見せて差し上げましょう! 総員、戦闘準備!| |~|編成2|御恩に報いる為にも、必ず結果を出しましょう。| |合戦|つままれ|ふぁっ!| |~|配置|皆の者、銃を持ちなさい! 防衛戦です!| |~|選択|命をかけて守護いたします!| |~|巨大化|突破口を切り開きなさい!| |~|特技発動|我が鉄門(くろがねもん)はそう簡単に壊れぬぞ!| |~|計略発動|受けてみなさい、八重桜乱!| |~|大破|無念……。| |~|勝利|ふう……この勝利は水戸にも報告せねばなりませんね。| |~|敗北1|新政府軍の砲撃の如く、苛烈でありました。| |~|敗北2|殿。次は戦の前に、カツを食べましょう。| |その他|合成|大砲の穴を埋めていただきたいです。| |~|放置|殿、べこの人形を赤く塗った魔除けを皆で作って売るというのはどうでしょう。| |~|おかえり|お帰りなさい、殿! ……え?私の顔に……何か?| |~|ありがとう|ありがとうございます。| |~|出陣画面(図鑑未登録)|さあ! 恐れることなく戦いなさい。| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|BGCOLOR(#fbd):「石垣」かな?|殿、流石です!| |~|「門」かな?|殿、残念です。| |イベント2|でも案外知られてないよね。|殿、私の思いが伝わりませんか!| |~|BGCOLOR(#fbd):隠れた名将だったんだね。|その通りなんです、さすがは殿!| |イベント3|「二本松少年隊の悲劇」かな。|殿、それは別の御城です!| |~|BGCOLOR(#fbd):「飯盛山の悲劇」だね。|はい。その通りです……。| }} #endregion #endregion 特殊ボイス: 利用可能 *画像 [#image] イラストレーター:[[けけもつ>https://twitter.com/pi_man_nikuzume/status/547375660235120640]] |&attachref(./会津若松城 入手.jpg,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&uploader(d6dad08af815be110c6a088103ef9ae8b4bde723_scre_10049,51%);|&uploader(87705c20515868b74103cc195db69580ed37106d_scre_10050,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&uploader(aeeb580f0e63f1d5a2f44eb0ffe84420cd1440b0_scre_10051,50%);|&uploader(5bbf6aaa45b64ec326a662f71e9a867fdf673100_scre_10052,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#f78f83a5] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&uploader(d6dad08af815be110c6a088103ef9ae8b4bde723_scre_10049,50%);|&uploader(08bf63a4b59e9cd6f6397b33451616797c3b278c_scre_10053,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&uploader(6df3f1f374e715aa2ad38426cd7ce64e36fa800d_scre_10054,50%);|&uploader(85756857d10bae26fe18d9d65925af8609960009_scre_10055,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *城娘の元ネタ情報 [#note] //※※※注意事項※※※ //元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。 //中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。 [[【出張版】教えて!れきしクン!]] 第07陣にて公式解説あり。 【デザイン】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){本(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 本に書いている文字は「きりこれくしょん」である。左右反転すると分かりやすい。 会津を流れる只見川を上ると川霧で有名な霧幻峡があり、6月~9月上旬頃、特に早朝と夕方によく発生する。 また、観光渡し船「霧幻峡の渡し」が行われている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){カチューシャ(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の郷土玩具の「赤べこ」と思われる。 蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から伝わったのが始まりと言われている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){ペンダント(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 首から十字架のペンダントをかけているが、 これは蒲生氏郷が天正12(1584)年にキリシタンに改宗した為だと思われる }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){家紋(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 胸元の家紋は蒲生氏は対い鶴か三つ巴で明らかに違うので、 その後に入城した保科正之の「会津三葵」と思われる。 }} //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【特技・計略】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ //#style(class=submenuheader){{ //&color(Black,gainsboro){八重桜乱(クリックで表示)}; //}} //#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ //(本文を入力してください) //}} }}} 【セリフ】 #style(style=padding-bottom:.5em;){{{ #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){什の掟(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津藩の9歳以下の男子10人前後で構成される「什」では、最年長の什長によって以下の掟が毎日唱和されていた。 >一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ 一、戸外で物を食べてはなりませぬ 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ < そして最後に「ならぬことはならぬものです」と結ぶと、掟を守っていたかの反省会をし、違反者とされた子には「審問」が行なわれた。 掟に背いていた場合は最も重い処罰で「派切り(はぎり)」、つまり絶交という子供らしい制裁が加えられていた。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){荒城の月の件(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 歌曲「荒城の月」は中学唱歌の懸賞のために作られた土井晩翠の詩に滝廉太郎が曲を付ける形で誕生(後に山田耕筰が編曲)した日本人が初めて制作した西洋音楽に基づく歌曲である。 詩は江戸時代から明治時代に移った世の無常の姿を打ち捨てられた城の姿を通じて鮮やかに浮かび上がらせているが、この城のモデルは複数かつ諸説あり明瞭な結論が出ていない。 この中でも、一番の歌詞は土井晩翠の誕生の地であり後半生を過ごした仙台の[[仙台城]]を指すと主張され、二番の歌詞は戊辰戦争における会津若松城を指すと主張されており、両者に歌碑が設置されている。 その他晩翠に林檎狩りで訪れたことがある[[九戸城]]にも歌碑がある。 また、詩は上杉謙信の『九月十三夜陣中作』を意識したものであると土井晩翠が述べていることから、[[富山城]]、[[石動山城]]、[[七尾城]]にも土井晩翠が訪れた記録があり、その影響も否定できない。 ちなみに作曲の滝廉太郎は曲のイメージを[[富山城]]、[[岡城]]から得たとされており、両者に滝廉太郎の銅像が設置されている。([[岡城]]には滝廉太郎の死後晩翠の手による歌碑が設置されている) }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){べこの人形(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の伝統的な郷土玩具である赤べこのこと。 由来は諸説あるが、平安時代に疫病を赤い牛がはらったという伝説などが知られている。 また江戸時代には黒い斑点を持つ赤べこを作ることで天然痘流行を防いだという伝承などもあり、疫病よけのためのまじないという位置づけが強かったようである。 近年では赤べこをモチーフとした「あかべぇ」が会津地方のマスコットとして登場し、鉄道車両などのモチーフとして使われていた他、現在でも会津若松市の市内周遊バスのデザインに用いられている。 }} #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){会津漆器(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{ 会津地方の伝統工芸品の1つ。会津塗とも呼ばれる。 蒲生氏郷が近江から移ってきた際に元の所領で作られていた日野塗の職人を連れてきたことに始まるとされており、17世紀半ばまでには江戸へ出荷されるなど会津の主産業に発展した。 明治以降も海外への輸出品目の1つにあげられるなど多いに栄えたが、戦後生活様式の変化に伴い産業としては衰退し他の伝統工芸品同様後継者不足などの問題に苦しんでいる。 }} }}} *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) [[盛岡城]]、[[白河小峰城]]に並ぶ[[東北三名城>日本100名城#v5d89807]]の一つ。地元では一般的に[[鶴ヶ城]](つるがじょう)と呼ばれ、地元以外では筑前の[[若松城]]と区別するために会津若松城と呼ばれることが多い。 至徳元年(1384年)蘆名直盛が造った[[東黒川館]]が始まりと言われ、会津領主だった蘆名盛氏が改築し現在の城郭の原型を築いた([[黒川城]])。 その後、文禄2年(1593年)に蒲生氏郷が本格的な七重の天守を築城、名前も「鶴ヶ城」と改められた。 縄張は蒲生郡流で行われたほか、武田信玄に仕えていた曽根昌世も参加し、甲州流の縄張も加わっていた。 #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }} #style(class=submenu){{ 慶長3年(1598年)には、越後の[[春日山城]]から移封された上杉景勝も入城しているが、移封直後に[[神指城]]への移転に取りかかっており、会津若松城にはあまり手を加えなかった。 慶長16年(1611年)には会津地震により天守が倒壊し、五重の層塔型天守として再建された。 寛永4年(1627年)には[[伊予松山城]]から加藤嘉明が入城し、その子明成が北出丸・西出丸を築いた。 蒲生氏郷の時代に築かれた大馬出も含め、改修後の会津若松城は[[聚楽第]]のような豊臣系城郭によく見られる、方形の曲輪・大きな二つの馬出・直線的な堀が備えられた。 #br 寛永20年(1643年)には保科正之が入城し、慶安元年(1648年)頃にそれまでの黒瓦から赤瓦に葺き替えたと記録されている。 時代は下って、慶応4年(1868年)、戊辰戦争にて1ヶ月持ち堪えたあとに開城した。あくまで降伏開城であり落城した経験は一度もない。 }} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|福島県会津若松市| |現存状態|再建| |城郭構造|梯郭式平山城| #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){白虎隊の悲劇(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***白虎隊の悲劇 [#wce0405e] 戊辰戦争の際、城下町の火災を会津若松城の落城と誤認し、白虎隊隊士の一部が現在の福島県の飯盛山で自刃したという逸話。 しかし、自刃を決行しながらも唯一生き延びた飯沼貞吉の手記『白虎隊顛末略記』によれば、「生き恥を晒すことを望まず、落城していないと知っていながら自刃した」と語られているため、誤認というのは誤りである。 #br }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)