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> 上田城
上田城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 天正11年(1583年)に信濃国(現在の長野県)の領主真田昌幸によって築かれた難攻不落の城。築城当初は、伊勢崎城、尼ヶ淵城などと呼ばれ、一説には上田城と名を改めたのは天正17年(1589年)のこととされる。 南側を千曲川の分流である尼ヶ淵、北側と西側を矢出沢川、東側を蛭沢川と湿地帯に囲まれた天然の要害で、これらの川を外堀とし、一部は人工の堀にして総構えを構築していた。 当初、昌幸は徳川家康に従い、その援助を受けて対上杉氏・対北条氏を想定した造りで築城したが、翌年に昌幸が上杉景勝に鞍替えしたことで、上杉氏が普請に加わり対徳川氏を想定した造りに設計変更がなされた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ なお上田城が徳川の造った城であるという説は、元上田市立博物館館長の寺島隆史氏の研究によるもので、平成20年(2008年)頃に話題を呼んだ。 同説は、天正11年(1583年)4月13日と18日に家康が下条頼安に表普請(上田築城普請と推測される)を督励した書状と、同13日付の上杉方の書状で昌幸が「海士淵(尼ヶ淵)」に城を築き始めたとの報告があることから裏付けられる。 #br また昌幸が上杉方につき徳川氏と戦った第一次上田合戦後の天正13年(1585年)9月下旬から10月にかけて、上杉景勝が北信濃の武将を動員し上田城の普請を行なっており、この普請に動員された島津忠直が直江兼続に宛てた書状には「伊勢崎御普」とある。 #br 上田城は天正13年(1585年)と慶長5年(1600年)の二度に渡って徳川氏の大軍を撃退し、特に第二次上田合戦は徳川秀忠率いる徳川の主力軍を関ヶ原本戦に遅参させる一因となったことで知られる。 ただし、河川の氾濫により家康から秀忠への命令変更を伝える伝令が遅れたことが最大の要因であり、秀忠の上田城攻撃は当初の命令通りだった。 そもそも関ヶ原が主戦場になることなど、家康や石田三成でさえも予期していなかったことであると留意する必要もある。 また『武徳編年集成』によると、徳川軍は大手門より「宿城」に押し入ったともされるが、この「宿城」は三の丸に当たると考えられ、周囲には堀と土居だけでなく櫓、土塀も築かれた壮大な構えだったという。 さらに、複雑に入り組んだ城下町からは容易には退却できず、真田軍は寡兵ながらもゲリラ戦法を用いて徳川軍を撃退したのである。 #br 関ヶ原の戦い後に昌幸は[[葛尾城]]を攻めて抵抗するも紀州九度山へと配流となり、上田城は徳川氏によって破壊された。 昌幸の嫡男・信之は父の旧領を受け継ぎ、上田城の三の丸跡地に屋敷を構えたが、城の再建は認められなかった。 信之が[[松代>松代城]]へ移ると代わって[[小諸藩>小諸城]]から仙石忠政が入り、寛永3年(1626年)から忠政・政俊父子によって城の改修が進められた。現存する上田城はこの仙石氏時代のものである。 縄張りは真田氏時代の上田城を利用したともされるが詳細は不明で、徹底して破壊された旧上田城の遺構はほとんど残っていないとされる。 忠政は改修の際、古城の堀に歪んでいる部分があれば真っ直ぐにするように指示を出しており、また本丸の堀で発掘調査が行われた際に昌幸時代のものと思われる桃山期の瓦が出土していることからも、旧上田城の堀を掘り返して利用していたと考えられる。 仙石氏はその跡地に近世城郭として新たな上田城を築いたが、忠政が二年後に死去したため築城は中止され、以後明治維新を迎えるまでは上田城の増築は行われていない。 上田城は江戸時代を通じて上田藩の藩庁として使用され、仙石氏の転封後には藤井松平氏が入り、明治維新を迎えた。 #br 上田城に天守があったことを示す史料はないが、付近で地方の城ではあまり例のない金箔鯱や金箔瓦の破片が発見されており、復元した鯱の大きさが櫓に付けるサイズではないほど巨大だったことから、天守があった可能性も指摘されている。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|長野県上田市二の丸| |現存状態|櫓、石垣、土塁、堀| |城郭構造|梯郭式平城|
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''上田城(うえだじょう)''| |&attachref(./上田城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/上田城.png,nolink);|図鑑No.|201| |~|>|~|レア|6| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平.png,nolink);| |~|>|~|令制国|信濃| |~|>|~|武器属性|[[槍]]| |~|>|~|最大レベル|115| |~|実装日|>|>|2017年03月14日| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化5回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|7|消費気((基本消費気を含みます))|80| |~|耐久|1962/&color(Red){(3010)};|耐久|4120/&color(Red){(6321)};| |~|攻撃|95/&color(Red){(275)};|攻撃|180/&color(Red){(522)};| |~|防御|66/&color(Red){(214)};|防御|138/&color(Red){(449)};| |~|射程|200/&color(Red){200};|射程|360/&color(Red){360};| |~|回復|10/&color(Red){33};|回復|16/&color(Red){52};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 第一次上田合戦|>|>|>|自身の与ダメージが20%上昇&br;射程内の敵の防御が20%低下| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 第ニ次上田合戦|>|>|>|射程内の城娘と全ての近接城娘の&br;与ダメージが25%上昇&br;射程内の敵の攻撃と防御が25%低下| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 表裏比興の者(使用まで30秒:消費気3)|>|>|>|30秒間対象が敵から狙われなくなる&br;(城娘/伏兵/蔵が対象。足止め無効化)| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 表裏比興の者(使用まで30秒:消費気3)|>|>|>|~| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|私の事を知りたい?&br;真田丸ではなくて、この上田城をか?&br;ふ、いいだろう。さすがは殿だ。&br;目の付け所が実に良い。&br;&br;上田城の特徴はその堅固さにある。&br;千曲川を天然の要害とし、三の丸、そして&br;二の丸までもを備えた実践的な城郭であり、&br;自他共に認める難攻不落の城というわけだ。&br;故に、徳川の造りし格好だけの城などには、&br;決して負けはしない……ああ、絶対にだ!| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|03:20:00| |''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};(通常の招城儀式からは排出されなくなった)| //#style(class=submenuheader){{ //-''[[城娘改築]]'' //}} //#style(class=submenu){{ //}} //#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=close,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{ //|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c //| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h //|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h //|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60//|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c //|>|無印|6|5|7|73|80|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|200/&color(Red){200};|10/&color(Red){33};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|360/&color(Red){360};|16/&color(Red){52};| //|>|改壱|7|5|6|64|70|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|200/&color(Red){200};|10/&color(Red){34};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|360/&color(Red){360};|16/&color(Red){54};| //}} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ #include(上田城/ステータス,notitle) }} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] -概要 //城娘の運用方法などを記載 //戦での配置場所や扱い方、運用相性の良い城娘、計略など 平属性の槍としては初の☆6となる城娘。 ☆6の槍には強力なライバルがいるが、高レア槍には貴重な平属性なことや、後述の特技・計略の特異さにより独自の活躍が見込める。 特に下記の計略の効果は大きく、入手できたなら育てておいて損は無い。 -特技「第一次上田合戦」 「自身の与ダメージが20%上昇」、「射程内の敵の防御が20%低下」するバフとデバフの複合特技。 攻撃バフと累積しない与ダメージアップは単純に強力で、加えて射程内の防御も下げられるため援護面も優秀である。 自身のみでも多くのタイプの敵に有効なダメージを与えることが可能だが、射程内攻撃バフを受けられればさらに安定感が増す。 防御デバフを活かすために少しでも射程を広げたいので、こちらを主とするなら「とんぼきり」などがオススメ。 -計略「表裏比興の者」 「30秒間対象が敵から狙われなくなる」という特殊な計略。隠密効果持ちの城娘としては上田城が初である。 //効果時間が30秒と長くCTも30秒なので、やや高いコストを度外視すれば常に対象を隠密状態にできる。 (消費気7だった時代の記述です) 効果時間が30秒と長くCTも30秒なので、消費気3で常に対象を隠密状態にできる。 計略再使用時間を3秒短縮できる「夜叉彦槍」を装備させればラグも無くなり、余裕を持って掛け直せる。 蔵に用いれば蔵防衛に城娘を割かずに済み、城娘やトークンに用いれば、大将兜などの高火力攻撃、ラッシュなどをやり過ごせるようになる。 さらに敵の攻撃モーション中に用いれば、攻撃性能を維持したまま疑似的に空蝉([[用語集]]を参照)ができる。 巨大化済みの城娘に使えば撤退・再配置問題を気にせずに攻撃を叩き込めるので、強化版空蝉として扱える。 城娘の生存性を上げる回復や防御系の計略とはまた違う、独特なステルス計略である。 隠密は射程内同時攻撃(赤法術などが行うマルチロック攻撃など)にも有効で、隠密中の対象はターゲットから外れる。 逆に言えばロックを問わない範囲攻撃に関してはダメージを受けるため、無敵・バリアといった類の計略ではない。 例えば大砲や自爆する兜による爆風、槍や槌といった「範囲攻撃」については、近くの対象が受けた攻撃の巻き添えでダメージが入る。 さらに「反撃」や「反射」も隠密では避けられないため、例外には気を遣って使用すること。 他にもデメリットとしては、対象に敵の攻撃が発生しない分、敵の進軍が速くなったり、付近の対象に過剰な攻撃集中が起きることがあげられる。 反射的に使いすぎると意図せぬ事故が起こりかねないので、使いどころを良く考えていきたい。 -改築 計略持ち共通の基本コスト-1やステータスアップが行われ、使い勝手が増している。 新たな特技はその名も「''第二次上田合戦''」。&color(Silver){ある意味予想通りの順当変化である。}; 既存効果の与ダメ上昇が射程内城娘と全近接対象の25%となり、射程内の敵の防御低下25%に強化され、射程内の敵の攻撃低下25%が追加された。 バッファーとしての立ち位置が得られただけでなく、槍としてはやや不安な場持ち性能が増している。 //前例としては[[尾山城改壱>尾山城]]の効果を若干いじったものと見るとわかりやすい。 (自身の与ダメ20%上昇、射程内の敵の攻撃20%低下、防御20%低下だったときの記述です) //単独での殲滅力的にはこちらが上だが、地形や計略が違うため必ずしも競合するわけではない。 デバフとしては[[尾山城改壱>尾山城]]の効果を数値上昇させたものと見るとわかりやすい。 与ダメ上昇による殲滅力的にはこちらが上だが、地形や計略が違うため必ずしも競合するわけではない。 -総評 強力かつ独特な計略を上手く用いれば、攻略の難易度を大きく下げることができるだろう。 ただし計略はしっかりとその仕様を頭に叩き込んで運用しないと、大火傷してしまう。 独自性の高さゆえにちょっとした癖はあるが、改築前後を問わず優秀な城娘であると言える。 -余談 かつて計略「表裏比興の者」を使うと、''味方の歌舞の回復対象にならなくなる''という仕様になっていた。 不具合だったようで、現在は修正済みである。 [[真田丸]]の主の真田信繁(幸村)と上田城主の真田昌幸は親子という関係性から、娘と母という関係になっている。 イベントでは普段は厳しく接しつつ、実際は意外に過保護という面が描かれている。 -性能の変遷 #style(class=submenuheader){{ &color(Black,gainsboro){詳細(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ //バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。 //--2016/00/00、特技の効果を修正 --2017/10/10 [改壱]実装 --2018/01/16 ステータスの上方修正 --2021/12/21 ---[改壱]特技:第二次上田合戦 自身の与ダメージが20%上昇する効果を射程内の城娘の与ダメージが25%上昇する効果に上方修正 --2023/12/12 ---[改壱]特技:第二次上田合戦 射程内の敵の攻撃と防御の低下割合を20%から25%に上方修正&br;与ダメージ上昇効果の対象に「全ての近接城娘」を追加 ---計略:表裏比興の者 消費気を7から3に上方修正 }} *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[柚木涼香>https://twitter.com/yuzuruu]] #region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ ※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。 |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |入手|入手|真田が魂を受け継ぎし上田城、今ここに推参。&br;今日この日より、我が力は其方のものとなった。&br;遠慮はいらない。全力で私を頼るといい。| |所領|所領1|真田丸が可愛い……だと? ふん。どいつもこいつも真田丸をもてはやしよって。私の方が優れてるはずなのに、納得いかんぞ。| |~|所領2|まったく、近頃の幼い城娘は危機感がたらんな。よし、ここは一つ私が躾けてやろう。そうだな、まずは腹筋背筋腕立て伏せ、共に一万回だ。| |~|所領3|なっ、老獪なくわせ者……だと? 誰がそんなことを言っていた? ……まったく失礼なやつだ。私だってまだまだこれからだ……。| |~|変身|戦か!? 待っておれ!| |~|変身解除|戦のないときは、私でもお洒落をするのだ。| |~|ダメージ1|この程度、上田合戦に比べれば大したことはない!| |~|ダメージ2|うっ……銃だけは、銃だけは苦手なのだ……。| |出陣|出陣|我ら、今この地より、日の本全てを揺るがさん!| |~|委任出撃|城娘達よ、今こそ、天下に勇躍せよ!| |~|編成1|難攻不落の我が力が必要というわけだな。| |~|編成2|ようやく出番か。まったく、待ちくたびれたぞ。| |合戦|つままれ|きゃあっ! な、何をするのだ。変な声が出てしまったではないか。| |~|配置|真の戦国というものを教えてやる。| |~|選択|殿の元へは決して行かせぬ。いざ、参られよ!| |~|巨大化|これぞ、真田の真髄!| |~|特技発動|着きたる寄せ手、尽く微塵と化す!| |~|計略発動|この上田城こそが、戦況を決するのだ!| |~|大破|叶うならば、もう一度、徳川と戦いたかった……。| |~|勝利|はっはは、何度だって退けてやる。徳川だろうが何だろうがな!| |~|敗北1|| |~|敗北2|| |その他|合成|私をさらに強くするのか、良いだろう。ふふっ。| |~|放置|殿! 瞑想か? ふっ、ならば私も付き合おう。よいしょっ。| |~|おかえり|待っていたぞ、殿。さあ、すぐに戦略会議といこう。次の戦が楽しみでならんな。| |~|ありがとう|感謝するぞ。| |~|出陣画面(図鑑未登録)|日の本一の兵が誰か、今こそ教えてやろう。| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|BGCOLOR(#fbd):ふむ、肝に銘じておこう。|理解のある主で助かる。とはいえ、私から仕掛ける可能性もあるがな……。ふふ、冗談だよ、殿。| |~|城娘同士の喧嘩は御法度だぞ。|わかっている。私とて子どもではない。ただ本能的に、な……ふふ。| |イベント2|BGCOLOR(#fbd):ありがとう。いただこう。|これを食う気か? とても人が食える熱さではないのだが……。ふふ、まあいい、さっさと口をあけろ。そうだ……ふーふー、はい、あーん。| |~|兜にぶっかけるのが楽しみだ。|粥に焼けただれ、半死半生なりて、苦しむ者、その数をしらず……ああ、早く戦場にて敵にぶっかけてやりたいものだ。| |イベント3|BGCOLOR(#fbd):なら俺が父親ということだな。|なっ!? ば、馬鹿……私は別に殿のことなど……。いや、どちらかと言えば、好きではあるが……。ああもう、この話は終わりだ!| |~|母上、腹が減ったぞ。|はいはい、今すぐに夕餉を用意してあげますからね~……って、何をやらせるのだ! それに誰が母上だ! むしろお姉様と呼べ!| }} #endregion #endregion *画像 [#image] イラストレーター:[[シソ>https://twitter.com/si_soo]] |&attachref(./[2017.03.14_23.58.53].jpg,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./御嬢.png,50%);|&attachref(./城娘.png,60%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./大破.png,60%);|&attachref(./特技.png,60%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#e56cc24d] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&attachref(./御嬢.png,50%);|&uploader(98e30eec88ecfb65aa05d901ced4485a4abd732e_scre_1913,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&uploader(6697a4e7e94579e5a6ac7205564983b850bfe1c6_scre_1915,50%);|&uploader(90891bbd590958285c3a9a3d6f782cdef0d1c422_scre_1914,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 天正11年(1583年)に信濃国(現在の長野県)の領主真田昌幸によって築かれた難攻不落の城。築城当初は、伊勢崎城、尼ヶ淵城などと呼ばれ、一説には上田城と名を改めたのは天正17年(1589年)のこととされる。 南側を千曲川の分流である尼ヶ淵、北側と西側を矢出沢川、東側を蛭沢川と湿地帯に囲まれた天然の要害で、これらの川を外堀とし、一部は人工の堀にして総構えを構築していた。 当初、昌幸は徳川家康に従い、その援助を受けて対上杉氏・対北条氏を想定した造りで築城したが、翌年に昌幸が上杉景勝に鞍替えしたことで、上杉氏が普請に加わり対徳川氏を想定した造りに設計変更がなされた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ なお上田城が徳川の造った城であるという説は、元上田市立博物館館長の寺島隆史氏の研究によるもので、平成20年(2008年)頃に話題を呼んだ。 同説は、天正11年(1583年)4月13日と18日に家康が下条頼安に表普請(上田築城普請と推測される)を督励した書状と、同13日付の上杉方の書状で昌幸が「海士淵(尼ヶ淵)」に城を築き始めたとの報告があることから裏付けられる。 #br また昌幸が上杉方につき徳川氏と戦った第一次上田合戦後の天正13年(1585年)9月下旬から10月にかけて、上杉景勝が北信濃の武将を動員し上田城の普請を行なっており、この普請に動員された島津忠直が直江兼続に宛てた書状には「伊勢崎御普」とある。 #br 上田城は天正13年(1585年)と慶長5年(1600年)の二度に渡って徳川氏の大軍を撃退し、特に第二次上田合戦は徳川秀忠率いる徳川の主力軍を関ヶ原本戦に遅参させる一因となったことで知られる。 ただし、河川の氾濫により家康から秀忠への命令変更を伝える伝令が遅れたことが最大の要因であり、秀忠の上田城攻撃は当初の命令通りだった。 そもそも関ヶ原が主戦場になることなど、家康や石田三成でさえも予期していなかったことであると留意する必要もある。 また『武徳編年集成』によると、徳川軍は大手門より「宿城」に押し入ったともされるが、この「宿城」は三の丸に当たると考えられ、周囲には堀と土居だけでなく櫓、土塀も築かれた壮大な構えだったという。 さらに、複雑に入り組んだ城下町からは容易には退却できず、真田軍は寡兵ながらもゲリラ戦法を用いて徳川軍を撃退したのである。 #br 関ヶ原の戦い後に昌幸は[[葛尾城]]を攻めて抵抗するも紀州九度山へと配流となり、上田城は徳川氏によって破壊された。 昌幸の嫡男・信之は父の旧領を受け継ぎ、上田城の三の丸跡地に屋敷を構えたが、城の再建は認められなかった。 信之が[[松代>松代城]]へ移ると代わって[[小諸藩>小諸城]]から仙石忠政が入り、寛永3年(1626年)から忠政・政俊父子によって城の改修が進められた。現存する上田城はこの仙石氏時代のものである。 縄張りは真田氏時代の上田城を利用したともされるが詳細は不明で、徹底して破壊された旧上田城の遺構はほとんど残っていないとされる。 忠政は改修の際、古城の堀に歪んでいる部分があれば真っ直ぐにするように指示を出しており、また本丸の堀で発掘調査が行われた際に昌幸時代のものと思われる桃山期の瓦が出土していることからも、旧上田城の堀を掘り返して利用していたと考えられる。 仙石氏はその跡地に近世城郭として新たな上田城を築いたが、忠政が二年後に死去したため築城は中止され、以後明治維新を迎えるまでは上田城の増築は行われていない。 上田城は江戸時代を通じて上田藩の藩庁として使用され、仙石氏の転封後には藤井松平氏が入り、明治維新を迎えた。 #br 上田城に天守があったことを示す史料はないが、付近で地方の城ではあまり例のない金箔鯱や金箔瓦の破片が発見されており、復元した鯱の大きさが櫓に付けるサイズではないほど巨大だったことから、天守があった可能性も指摘されている。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|長野県上田市二の丸| |現存状態|櫓、石垣、土塁、堀| |城郭構造|梯郭式平城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)