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> 練馬城
練馬城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 武蔵の名族・豊島氏の主城[[石神井城]]の支城の一つ。石神井城と同じ頃に築城され、その廃城と運命を共にした。 現在は西武鉄道系列の遊園地としまえんのエントランスおよびプール、更にその南側の宅地となっている。 としまえんの園名は豊島氏の城があったことからの命名であり無関係ではない。 石神井川南岸に接する台地端にあった城で、北は川沿いの崖地、東西には石神井寺川に流れ込む侵食谷がありこれを堀として用いた。 残る南側は幅10m深さ4mに達する大規模な空堀で防御していた。一説にはその外側に「馬出」状の構造があったともされるが不詳。 その堀の内側は四方を土塁で囲んでいて、本丸は一辺およそ100m前後の方形の郭であったとされ、南側に外郭を持っていた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 豊島氏の主城に近い支城として一族または側近が入った。ただし城主とされる「豊島景村」に関しては実在が疑問視されている。 文明年間には当主・豊島勘解由左衛門尉泰経((泰経は江戸時代の資料に見える名であり実際の名は不明))の弟・豊島平右衛門尉泰明((泰明は泰経同様実名不明))が城主となって城に入っていた。 長尾景春の反乱に豊島氏が同調して挙兵すると石神井城および周囲の支城と連携して川越街道を遮断し、太田道灌に圧力をかけた。 道灌はこれに対し小勢で練馬城を襲撃、周辺に火を放つとそのまま退却した。泰明は石神井城の兄とともにこれに追撃をかける。 しかしこれは豊島勢を誘き出す道灌の罠であり、両軍は江古田原で激突。激戦となるが泰明はこの戦いで戦死し軍勢は四散。 練馬城の残兵は石神井城に吸収されたとするのが自然と考えられており、空となった練馬城はそのまま放置・廃城となった。 #br 開発が及んでいなかった戦前には空堀および土塁の遺構が残っていたが、戦中戦後平成の開発で大半の遺構は破壊または埋没した。 台地端で見通しが良かったことから大正時代には実業家が土地を購入して付近住民に開放した。これがとしまえんの前身となる。 のち武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の所有になるが、太平洋戦争中には閉園し軍に接収され防空監視哨が作られた。 また周辺からは縄文土器が発掘されており、当時から集落があったと考えられている。 #br 2020年6月に、としまえんを閉園し跡地の大半を都が買い上げ、一部をワーナー・ブラザーズに借地しハリー・ポッターのテーマパークに、残りを城址公園として整備することが正式に発表された。 これに伴い2020年8月31日をもってとしまえんが閉園となり、今後公園整備が行われることになるが、現状出ている情報を見る限り特に城址という位置づけでの整備は期待できないと考えられる。 土塁と考えられているものを除けばすでに遺構の多くが失われており、記録も乏しいことから整備のしようがないのが実情であるのでしょうがないところだろう。 %%とはいえ、方針案の中に遊園地整備とか書かれているのはさすがに正直何がしたいのかわからないとしか言いようがない%% }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|東京都練馬区向山 豊島園付近| |現存状態|土塁| |城郭構造|平山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)