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鵜飼山城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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土岐頼芸の嫡男・太郎法師の傅役である村山芸重が居城としていた。
芸重らは斎藤利政(道三)の野心を見抜き頼芸に諫言したが、利政の讒言によりかえって窮地に立たされ、天文10年(1541年)に鵜飼山城に籠城した。
一時は戦になりかけたものの、織田信秀、佐々木定頼、朝倉義景などの仲介により両者は和睦した。
永禄7年(1564年)には美濃の国主となっていた斎藤龍興が家臣の竹中半兵衛や安藤守就らによって[[稲葉山城]]を占拠されたのち、鵜飼山城に逃げ込んでいる。
龍興は祐向山城、[[揖斐城]]と逃走を続けつつも稲葉山城奪還の機会を窺っていたが、半兵衛により返還され、鵜飼山城はその後の歴史には登場しない。
龍興は[[祐向山城]]、[[揖斐城]]と逃走を続けつつも稲葉山城奪還の機会を窺っていたが、半兵衛により返還され、鵜飼山城はその後の歴史には登場しない。

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|所在地|岐阜県岐阜市御望・村山|
|現存状態|なし|
|城郭構造|山城|

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