Top > 高山城

高山城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、飛騨一国を支配した金森長近の居城。
永正年間(1504~1521年)に高山外記が築いたのが始まりとされ、多賀天神を祀ったことから天神山城と呼ばれたという。
高山氏は三木自綱(のちの姉小路頼綱)に攻められて滅亡し、その頼綱も[[富山城]]の佐々成政と結んで豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)に秀吉が派遣した金森長近に敗れ降伏した。
長近は飛騨攻めの功によって飛騨一国を与えられ鍋山城を居城としたが、天正16年(1588年)に天神山城跡に高山城を築き、新たな居城とした。

#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

関ヶ原の戦い後、東軍についた長近は上有知を加増され、家督と高山城を養子の可重に譲り、自身は鉈尾山城に入った。
長近は慶長10年(1605年)に小倉山城を築いて隠居城とし、この頃までに高山城は本丸・二の丸・三の丸が完成していた。
本丸はかつて存在した天神山城の一部を利用しており、山腹に二の丸、山麓に三の丸が配され、石垣によって防御された。
天守は[[安土城]]の影響を受けた望楼型の二重三階の天守があったという。
城の規模や様子は文献によってまちまちだが、『飛騨国中案内』には日本で五本の指に入る美しい城だったと記されている。
#br
高山藩金森氏は6代・頼時の代で[[出羽上山>上山城]]へ転封となり、飛騨は幕府の直轄領となった。
以後飛騨には幕府から代官や郡代が派遣され、金森氏の下屋敷が高山陣屋として統治の中心となった。
高山城は[[加賀藩>前田金沢城]]主前田綱紀が城番として預かることとなったが、元禄8年(1695年)に取り壊しが命じられ廃城となった。

}}}

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|岐阜県高山市|
|現存状態|堀、土塁、石垣など|
|城郭構造|連郭式平山城|

*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,10,)


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS