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飯野城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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[[内城]]が言及する城。
[[内城]]主島津義久の弟であり、「雄武英略を以て他に傑出する」と祖父の忠良に評された島津義弘の居城。
穀倉地帯であることから争奪戦の対象となった真幸院を防衛するため、平安時代末期に真幸院司の日下部重貞が築城し、日下部氏が衰退後に真幸院司となった北原氏も居城とした。
戦国時代になって衰退した北原氏は島津氏の庇護を受けるようになり、島津義弘が真幸院を領し飯野城主となった。
飯野城は加久藤城と対になる形となっており、両城をつなぐ連絡路もあった。元亀3年(1572年)、義弘がわずか300人の手勢で約10倍の軍勢を率いる伊東祐安と対峙した木崎原の戦いでも、この二城の連携によって祐安軍を破っている。
天正15年(1587年)に城主となった久保の病死後は島津氏宗家が所有、元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となった。

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|所在地|宮崎県えびの市飯野|
|現存状態|堀、土塁、石垣など|
|城郭構造|山城|

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