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赤穂城 の変更点

#include(城娘項目,notitle);

#include(城娘ステータス注釈,notitle)

|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''赤穂城(あこうじょう)''|
|&attachref(./赤穂城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/赤穂城.png,nolink);|図鑑No.|408|
|~|>|~|レア|4|
|~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平水.png,nolink);|
|~|>|~|令制国|播磨|
|~|>|~|武器属性|[[刀]]|
|~|>|~|最大レベル|105|
|~|実装日|>|>|2019年12月24日|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''|
|~|消費気|11|消費気((基本消費気を含みます))|100|
|~|耐久|1739/&color(Red){_};|耐久|3130/&color(Red){_};|
|~|攻撃|86/&color(Red){_};|攻撃|141/&color(Red){_};|
|~|防御|75/&color(Red){_};|防御|135/&color(Red){_};|
|~|耐久|2349/&color(Red){_};|耐久|4228/&color(Red){_};|
|~|攻撃|115/&color(Red){_};|攻撃|188/&color(Red){_};|
|~|防御|86/&color(Red){_};|防御|154/&color(Red){_};|
|~|射程|150/&color(Red){_};|射程|246/&color(Red){_};|
|~|回復|10/&color(Red){_};|回復|14/&color(Red){_};|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 一向二裏|>|>|>|自身の攻撃速度が17%&br;射程が10上昇|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 山鹿流兵法|>|>|>|自身の射程が15上昇&br;射程内の城娘の攻撃速度が17%上昇|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 山鹿流陣太鼓&br;(使用まで60秒:消費気10)|>|>|>|25秒間範囲内の城娘の攻撃が1.5倍&br;現在の耐久が25%減少(範囲:大)|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 山鹿流陣太鼓&br;(使用まで60秒:消費気10)|>|>|>|~|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''|
|>|>|>|>|世にも珍しい変形輪郭式の海岸平城、それが&br;このあっち、赤穂城だ! 軍学に精通してる人が&br;設計した城ってこともあって、城の構造はすげー&br;実践向けになってるんだぜ。ん? だから&br;そんなに喧嘩っ早いのか、だって?&br;べ、別に喧嘩っ早くなんかねーよ!&br;ただ、ちょっとだけ『うがーっ』となりやすい&br;だけで……って、それは同じことだろ、だと?&br;うがーっ! うるさいなー、もうっ!|

|BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c
|''[[築城]]''|03:00:00|
|''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};|
|[[天下統一]]|第69話播磨の初クリア報酬|

//#style(class=submenuheader){{
//-''[[城娘改築]]''
//}}
//#style(class=submenu){{
//
//}}
//#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7_8|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
//|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c
//| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
//|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
//|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c
//|>|無印|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//|>|改壱|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//}}


#style(class=submenuheader){{
-''ステータス一覧(クリックで展開)''
}}
#style(class=submenu){{
#include(赤穂城/ステータス,notitle)
}}
#br



*ゲーム上の性能・評価 [#evaluation]
-概要
2019年12月に各武器種に一人ずつ追加された中レア城娘のうち、刀担当。
平/水という複合属性を持ち、これまで戦力に偏りがあった水属性の穴を埋めやすい。
範囲指定の攻撃1.5倍という強力な計略を持つ。
 
-特技「一向二裏」
自身の攻撃速度を17%、射程を10上昇させる。攻撃速度上昇は数値こそ低いが、編成次第では被りにくい。
同レア同属性の刀には[[菖蒲城]]や[[山形城]]がいるが、比較して赤穂城の強みは下記の計略となる。
 
-計略「山鹿流陣太鼓」
指定範囲内の城娘の現在の耐久が25%減少し、25秒間攻撃力を50%上昇させる。密集すれば4~5人は巻き込める。要するに[[徳島城]]系統の計略。
指定範囲内の城娘の現在の耐久が25%減少し、25秒間攻撃力を50%上昇させる。範囲は大。密集すれば4~5人は巻き込める。
消費は効果相応に10と多いものの、複数対象の攻撃1.5倍、持続時間25秒と大幅な殲滅力の向上が見込める計略である。
なお耐久減少25%であるが、これは最大値ではなく現在値が減る。
そのため歌舞や祓串で回復、あるいは敵の射程外から攻撃できれば事実上ノーリスクである。
範囲指定の攻撃上昇計略を近いレア度で持つのは、☆5刀[[徳島城]]や☆4歌舞[[伊勢長島城]]がいる。
 
-改壱
2020年4月、同期共々改築が実装。そして同期共々、方針の転換のためか特技に強化が入っている。
特技「山鹿流兵法」
自身の射程上昇が15に強化。さらに攻撃速度上昇17%が数値はそのままに対象が''射程内城娘''へと広がった。
攻撃速度上昇は所有者が少ない効果ではあるが、射程アップを加味しても刀の射程内ではそこまで多くは巻き込めない。
また防御に関する効果を覚えなかったため最前線に出すならサポートしてあげよう。
 
-性能の変遷
//バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。
//--2018年00月00日、特技の効果を修正
--2021年03月16日、「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正
//--2024/00/00、特技の効果を修正
--2020/04/07 [改壱]を追加
--2021/03/16、「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正

*キャラクターボイス [#voice]

CV担当:大西沙織

#region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。)

#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{

※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|入手|入手|一度仕えたら死ぬまで尽くす!&br;忠義の化身こと赤穂城、ここに見参!&br;っつーわけで、殿さん。強からよろしく頼むぜ♪|
|所領|所領1|ドン、ドン、ドーン♪ やっぱり陣太鼓の音って最高だなぁ~。あっ、殿さんも叩いてみるか? 一度叩くとクセになっちゃうぜ? これ♪|
|~|所領2|山鹿流兵法はなぁ、とっても凄いんだぞ! これを勉強しておけば、どんな敵でも倒せるらしいんだ。さっ、殿さんも一緒に勉強しようぜ!|
|~|所領3|甲府城のやつぅ、あっちがちょっと席を離れた隙におかずをくすねやがってぇ……えぇい! 討ち入りじゃー、討ち入り! 止めんじゃないぞ、殿さん!|
|~|変身|赤穂魂見せてやるぜ! へーんしん!|
|~|変身解除|ふぇ~、変身したら腹が減っちまったよ~。殿さ~ん、なにか食べ物ちょうだーい。|
|~|ダメージ1|此処で退く訳にゃ……いかねぇんだ……!|
|~|ダメージ2|うぐっ! やったな……!|
|出陣|出陣|退け退け退っけーい! 殿さんのお通りだーい! 邪魔する奴は、あっちが討ち入りしちまうぞー!|
|~|委任出撃|死んでもこなすがあっちの流儀。そりゃあ!|
|~|編成1|おうおう、あっちに任せな!|
|~|編成2|出かける前に、卵かけご飯食べていこうぜ。|
|合戦|つままれ|うわぁ~あ! すっげー!!|
|~|配置|この間の遺恨、覚えてるかァ!!|
|~|選択|あっちの闘志に火が着いたぁ!|
|~|巨大化|成敗、成敗、大成敗ィ!!|
|~|特技発動|行っくぜぇ! 一向二裏!|
|~|計略発動|どっせーい! 討ち入りの時間じゃーい!|
|~|大破|いやぁあああ! あっちの股引がぁ!|
|~|勝利|うっしゃぁああ! 勝った勝ったー今夜は甘酒だーぁい! もちろん、殿さんも飲むよな? にへへ~♪|
|~|敗北1||
|~|敗北2||
|その他|合成|いいねいいね! もっと頼むぜ!|
|~|放置|とーのさーん。なぁ殿さんってばー。暇だからすごろくでもして遊ぼうぜー。なぁいいだろー? おーい!|
|~|おかえり|お、帰ってきたな殿さん! これから火消しの訓練にいくんだけど、殿さんも一緒にどうだい?|
|~|ありがとう|ありがてぇ!|
|~|出陣画面(図鑑未登録)|一打ち、二打ち、三流れーっ!|
}}

#region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};)
#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|イベント1|BGCOLOR(#fbd):何だか強そうな平城だな!|あったりめーよ! あっちにかかれば、どんなもんでもスパッと両断。敵は慄き、鬼は泣くこと間違いなしよ! あっちの働き、よぉく見ててくれよな! 殿さん!|
|~|変形ってことは、別の姿が……。|別の姿だぁ~? んなもんあるわきゃねーだろ! それとも、何かい? 今のあっちじゃ、殿さんにゃ分不相応とでも言うつもりか!? ん? 今のままでも十分頼りがいがある……って? そ、そうか~♪|
|イベント2|俺は普通のが食いたいな。|なぁ~~~に罰当たりなこと言ってんでぇ! このすっとこどっこい! いいから食え! 黙って食え! 死んでも食え! 文句はその後でいくらでも聞いてやる! 分かったか!?|
|~|BGCOLOR(#fbd):確かにそれは楽しみだ。|だよなぁ~! あっ、そうだ! 折角だしさ、後で殿さんの感想を聞かせてくれよ! 殿さんとは戦の話だけでなく、飯の話とかもた~くさんしたいからさ! にひひ♪|
|イベント3|BGCOLOR(#fbd):そいつは助かる。|にひひー♪ 礼には及ばねーよ♪ あっ、でもな、殿さん。建物についた火はすぐに消さにゃならんけど、あっちへの熱い想いはこの先一生消しちゃだめだぞ? いいな?|
|~|戦だけで十分だと思うが……。|あまーーーい! その考えは甘酒より甘いぞ、殿さん! いいか!? 火消しを笑う奴は火消しに泣くって相場は決まってんだ! そんなの嫌だろ~? 嫌だよな~? だから、あっちが教えてやる♪ ふふっ、感謝しろよ~?|
}}

//正解色 BGCOLOR(#fbd):

#endregion
#endregion
*画像 [#image]
イラストレーター:[[たいちょ>https://twitter.com/taicho128a/status/800781583850475521]]

|&uploader(25fa99bc261802abbdc127ee0eaa3ab6eb815cf7_scre_7525,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};|


#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(5bbd5cf73ea6e75ea9b124b75805ecc697433ebb_scre_7526,51%);|&uploader(de224233cd8b4ff313f7d03d02306db88f0af5bd_scre_7527,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&uploader(c0eb960d8d2270378530e568f155bca1076b90e6_scre_7529,50%);|&uploader(7d5c4d00d68a471b64e8be25eaa9005cd53a18a9_scre_7528,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion
***改壱 [#v2d18b28]
#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(5bbd5cf73ea6e75ea9b124b75805ecc697433ebb_scre_7526,50%);|&uploader(0bd72cbb497731046d89bc6bcf251abb3dfd3172_scre_9149,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&uploader(e274560eb5968600c3ab900b4776ad759c841320_scre_9150,50%);|&uploader(f8f2441d9d62115758a8d49cc017fdf6060ef81d_scre_9148,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion
*城娘の元ネタ情報 [#note]

//※※※注意事項※※※
//元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。
//中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。

【デザイン】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 四角三角丸の模様(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
城壁に付いている四角三角丸の模様は、矢や鉄砲、大筒を発射するための穴である。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 金の髪飾り(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
御嬢姿の時に頭に付いている金の髪飾りは赤穂城の縄張りを表している
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 光の天守閣(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
改壱城娘時の赤穂城の後ろに光る天守が現れる。
赤穂城は天守台に天守は築かれたことがないが、
毎年12月14日に天守台に5層からなる天守がプロジェクトマッピングで作られる。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 城娘時に頭に付いている丸い飾り(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
恐らく陣太鼓と思われる
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ だんだら模様(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で赤穂義士が討ち入りに着用した衣装の袖模様。
舞台演出としての創作であり、実際の討ち入りには揃いの装束など無かったらしい。
後に新選組の羽織にそのデザインが借用された。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 衣装の花模様(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂市の市木と市花である桜と躑躅である
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【特技・計略】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 一向二裏(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
一向二裏とは、三人一組で、一人が正面から戦っている隙に、残りの二人が背後に回り込んで攻撃するという戦法。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 山鹿流陣太鼓(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
大石内蔵助が吉良邸に討ち入りする際に叩いた太鼓が「山鹿流陣太鼓」である。
だが、実際には大石内蔵助は山鹿流の陣太鼓を叩いていない。
「山鹿流陣太鼓」と言うのは歌舞伎や人形浄瑠璃の創作である。
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【セリフ】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ ドン、ドン、ドーン!(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
歌舞伎や人形浄瑠璃、ドラマなどでよく聞く一定のリズムで叩かれる陣太鼓であるが、
史実で山鹿流の陣太鼓は使っていないので叩くリズムはバラバラである。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 山鹿流兵法(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
山鹿流兵法とは会津出身の山鹿素行が江戸時代初期に説いた実践(実学)重視で道徳と兵学の一致を求め、古学回帰の面も持った兵法である。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 甲府城(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂藩主の浅野長矩は、[[甲府城]]主浅野長政の子孫であり、浅野長矩とゆかりがある甲府城に対し良い印象を持っている無いと思われる。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 出かける前に卵かけご飯(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂義士が討ち入り前に食べたとされる食べ物。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 甘酒(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂義士が討ち入り後に飲んだとされる飲み物
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ 火消しの訓練(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂浅野家は代々、防火、消火、消防に力を入れており、浅野長矩は火消し大名と呼ばれていた
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){ すごろく(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
赤穂市文化とみどり財団が販売している赤穂義士を題材にした赤穂義士関連グッズの一つ
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)
赤穂事件(元禄赤穂事件とも)、いわゆる『忠臣蔵』の舞台の一つとして知られる播州赤穂藩の居城。
正保2年(1645年)に浅野長直が近藤正純に設計を命じ、慶安元年(1648年)から築城が開始され、寛文元年(1661年)に完成した。
正純は甲州流軍学者の祖である小幡景憲の弟子であり、長直もまた山鹿流兵法の祖である山鹿素行に学んでいた。
赤穂城は熊見川の河口に形成された平坦な三角州に立地したことから、地形上の制約をあまり受けることなく縄張を行なうことができ、そのため赤穂城には軍学に基づいた仕掛けが随所に見られる。
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

赤穂城の縄張の特徴は屏風折れの土塀や多角形の曲輪群で、本丸は星型に近い多角形で、二の丸と三の丸もまた多角形で要所要所に櫓や城門が配置された。
これらの曲輪はひたすらに折れと短い直線を連続させて直線部分を極力排除し、敵兵を側面攻撃するいわゆる横矢掛けに適した構造であり、軍学上で考えられる全ての種類の横矢掛けを縄張に反映させたかのような徹底ぶりとなっている。
二の丸はのちに山鹿素行が手を加え、外門の高麗門と内門の櫓門からなる枡形を形成し、また当時海岸に面していたのも特徴で、船着場や水手門など、海城に見られる設備もあった。
全体として見ると本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式になっており、[[五稜郭]]のような稜堡式城郭としての防御機構も備え、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城となっている。
稜堡式城郭の概要については、[[四稜郭]]のページが詳しい。
#br
このように赤穂城は軍学者が近世軍学の研究成果を注ぎ込んだような城だったが、5万3千石という赤穂浅野家の石高に対して明らかに過剰な備えであり、赤穂藩は常に財政難に悩まされた。
ただし、赤穂藩は製塩業のおかげで、5万3千石の領地でありながら、実質7、8万石の藩に相当する収入があったとも言われる。
赤穂浅野家は元禄14年(1701年)に浅野内匠頭長矩が[[江戸城]]中で刃傷事件を起こして切腹及び改易を宣告された。
#br
その後、一時永井直敬が入ったのち宝永3年(1706年)に森長直が入ってからは、森家12代の居城として明治維新まで存続した。
森家は赤穂浅野家よりも石高がさらに少ない2万石だったため、ますます財政難が赤穂藩を圧迫するようになった。
幕末には藩政をめぐって藩内が分裂したまま廃藩置県となり、赤穂城は明治6年(1873年)に廃城となった。
#br
平成14年(2002年)には本丸庭園と二の丸庭園が国の名勝に指定され、発掘調査をもとに庭園遺構を活かした計画的な史跡整備事業が進められている。

}}}

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|兵庫県赤穂市加里屋|
|現存状態|石垣、堀など|
|城郭構造|変形輪郭式平城|
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){赤穂事件と忠臣蔵(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
**赤穂事件と忠臣蔵 [#ya884e80]

***江戸城松之大廊下刃傷事件 [#f596d29d]

元禄14年(1701年)3月14日、[[江戸城]]松之大廊下にて、播州赤穂3代藩主・浅野内匠頭長矩が高家筆頭・吉良上野介義央に斬りつけるという事件が起きた。
高家とは吉良家や今川家など、室町時代より続いた名門の家が任命される役職であり、「高」とは足利高氏(尊氏)の「高」を意味し、室町幕府将軍の血を引く家とされていた。
高家の役割は、朝廷との連絡や江戸城の儀式を担当することであり、このときもちょうど朝廷への挨拶と朝廷からの使者の接待といった儀式が行なわれており、上野介も勅使饗応指南役を務め、内匠頭はその補佐役であった。
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事件を目撃した梶川頼照(与惣兵衛)の『梶川与惣兵衛日記』によると、内匠頭は「此間の遺恨覚えたるか」と上野介のうしろから声をかけ斬りつけ、驚いた上野介が振り向くとまた斬りつけ、上野介は梶原の方に逃げるとまた二太刀ほど斬りつけられ、うつむきに倒れたという。
梶原は咄嗟のことで思わず内匠頭を抱きかかえ制止したが、「浅野殿の心中を思えば、討たせてやればよかった」と反省している。
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その後、内匠頭は老中である[[忍藩主>忍城]]・阿部豊後守正武の取り調べを受けると、江戸城平川門より田村右京大夫の屋敷に護送された。
余談だが、平川門は「不浄門」とも呼ばれ死者や罪人を出す門とされていたが、罪人として生きてここから出た人間は内匠頭の他には、正徳4年(1714年)に山村座の役者・生島新五郎との密通の罪で信濃国高遠に流刑となった絵島(江島)のみである。(絵島生島事件)
ともかく江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の怒りを買った内匠頭は即日切腹を申しつけられ、上野介はお咎めなしだったが、本来なら打ち首でもおかしくないところ、武士の名誉である切腹を申しつけられたことに内匠頭は感謝している。
ただし、内匠頭は最期まで上野介がどうなったかは訊ねておらず、討ち果たしたものと思い込んでいたとも考えられる。
いずれにせよ清水克行氏の『喧嘩両成敗の誕生』によれば、上野介は最後まで手向(応戦)をしておらず「喧嘩」とみなせるかは疑わしい案件であったが、幕府の裁許は目付の多門重共(伝八郎)などに批判され、後年には儒学者の浅見絅斎も喧嘩両成敗の法を採用すべきだったとしている。
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内匠頭の辞世の句とされる「風さそふ 花よりもなを われはまた 春の名残を いかにとかせむ」は検使役を務めた重共の創作と考えられ、内匠頭が自身の差料の刀で介錯されたという逸話も事実とは考えられない。
内匠頭が乱心した理由は、内匠頭が上野介への贈り物を怠り必要な連絡も取れなくなったこととされるが、教えを乞う者が贈り物をするのは当時の慣行としては当然のことであり、また突発的な事件であったことは内匠頭自身も認めたところである。
上野介は領地である三河国幡豆郡では名君として慕われていたとも言うが、上野介は領地にはその生涯で一度しか訪れていない。
***赤穂城明け渡し [#e725c905]

上記の刃傷事件は赤穂事件の始まりに過ぎず、江戸城より赤穂城へ、内匠頭の切腹と赤穂浅野家の取り潰しを伝える急報が届くと、赤穂藩は大きく動揺した。
まず赤穂藩の10匁の価値がある藩札を持つ商人たちが押し寄せ、国家老の大石良雄(以下、一般に知られる通称の内蔵助で統一)は浅野家本家である[[広島藩>広島城]]やその支藩である三次藩に借金を願い出たが断られ、6匁の銀と交換することでなんとか対応した。
赤穂藩は製塩業のおかげで、5万3千石の領地でありながら、実質7、8万石の藩に相当する収入があったことも不幸中の幸いであった。
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問題は赤穂城の明け渡しであるが、あくまで内蔵助ら赤穂浅野家家臣の主君は内匠頭であり、将軍からの命令があったからと言って容易に応じるわけにはいかなかった。
そのため建前上は議論のためだが赤穂城に集まって籠城し、浅野家の一門である広島藩や[[大垣藩>大垣城]]の戸田采女正氏定が明け渡しに応じるように説得にあたった。(詳細は大垣城のページにて)
上野介が生きていることを知ると抗議のため切腹しようともしたが、江戸では堀部安兵衛ら強硬派が「武士の一分」のために吉良邸討ち入りを画策し、赤穂城に戻るとその機会を待った。
しかし、内蔵助はあくまでも内匠頭の弟である浅野長広(大学)による赤穂浅野家再興を目指していたと考えられる。
いずれにせよ上野介になんらかの処罰が下されない以上苦しい立場であったが、結局耐え切れず赤穂城は幕府に明け渡されることとなった。
***吉良邸討ち入り [#p0c09660]

こうして浪人となった赤穂藩士は次第に困窮したが、将軍の怒りを買って長広が「閉門」という処罰を受けていたため広島藩や大垣藩も援助できず、赤穂浅野家再興も期待できなかったため、安兵衛に同調し討ち入りを決意する者が増えていった。
一方で、内蔵助は「閉門」は3年で赦されるのが普通であるから、内匠頭の3回忌まではおとなしくして、長広の処遇が決まるのを待つべきだと考えていた。
また、江戸中で赤穂浪士による吉良邸討ち入りが噂となり、世間の期待に応えねば武士の面子が立たないという事態となると、慌てた上野介は隠居を願い出て許された。
安兵衛ら強硬派と内蔵助ら再興派との対立も次第に深刻化したが、京都の山科で行なわれた会議ではすぐに討ち入りという意見は少数派であり、しばらく様子を見ることとなった。
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しかし、元禄15年(1702年)7月18日に長広が広島藩の浅野本家に引き取られることが決定し、赤穂浅野家再興の望みが完全に断たれたため、内蔵助も円山で会議を開くとついに吉良邸討ち入りの決意を表明した。
もっとも奥野定良(将監)など内蔵助に反発し脱盟する者も多く、120人ほどいた同志は50人程度に減った。
なお内蔵助は山科会議から円山会議の間、遊郭で豪遊していたともされるが後年の創作であり、最も多い支出は江戸と上方を往復する旅費であった。
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内蔵助は曾我兄弟が仇討ち成功の祈願をしたとされる箱根神社や、鶴岡八幡宮で討ち入り成功の祈願をすると、服装を黒の小袖で統一し、武器は各々自由に用意するように通達した。
江戸で「討ち入りなど成功するわけがない」という悲観的な噂が広まると、やはり脱盟する者もいたが、48人の赤穂浪士が残った。
このうちの一人である毛利小平太は討ち入り直前に兄に止められ最終的には47人となったが、吉良邸の内部を探るなど貢献したのは確かなことである。
また、当時の江戸でも吉良邸は要塞のようなつくりであったという噂があったが、小平太の活躍により至って普通の屋敷であることが確認されている。
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吉良邸討ち入りは仇討ちという大義名分を利用した赤穂浪士の再就職活動であったという説もあるが、彼らが家族に宛てた手紙を見ると、死を覚悟した討ち入りであったようである。
『喧嘩両成敗の誕生』も「こうした彼らの「片落」に対する不満が、彼らをして最終的に「吉良邸討ち入り」という自力救済行為に向かわせた要因のひとつだったことは明らかだろう」と、喧嘩両成敗という天下の大法を実現するための討ち入りだったしている。
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討ち入り当日、吉良邸には100人以上の家臣がいたとされるが、実際に戦闘に参加したのは40人程度であり、表立って赤穂浪士に味方をすることはできないが同調した者もいたようである。
赤穂浪士側では、江戸で辻斬りを働いていたという噂もある不破数右衛門が4、5人を斬ったという働きをするなどした。
当初、上野介の姿は見えなかったが、台所の裏に物置のような部屋があることに気付き、安兵衛や矢田五郎右衛門が隠れていた二人の者をそれぞれ討ち、武林唯七が中にいたもう一人の者を槍で突き、間十次郎が刀で首を挙げたが、これが上野介であった。
吉良側は16人の死者を出し、赤穂浪士側は一人の死者も出さずに上野介を討ち取るという大勝利であった。
***赤穂浪士のその後 [#u8b390e0]

大目付の仙石伯耆守久尚へ報告をしに行った吉田兼亮(忠左衛門)と富森正因(助右衛門)の二人と、仔細は不明であるがいつの間にか姿を消していた寺坂信行(吉右衛門)を除く内蔵助ら赤穂浪士は討ち入りのあと泉岳寺に引き揚げた。
これは上野介の首を墓所へ備えるためであり、あくまで切腹して果てることを考えていたという。
泉岳寺の住持は赤穂浪士に好意的で、切腹をしばし待つように止めると、彼らを酒宴で持て成した。
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赤穂浪士の処分については幕府も彼らが忠臣であることは理解しており苦慮したが、結局討ち入りは「徒党」であり仇討ちとは認めず、切腹を命じた。
やはり切腹は武士の名誉であり、内蔵助はこの処置に感謝したとも言うが、彼らが本当に腹を切って果てたか否かには異論がある。
いずれにせよ世論が赤穂浪士に味方したためか、吉良家を継いだ吉良義周(左兵衛)が討ち入りを防げなかったという厳しい理由で[[諏訪高島藩>高島城]]主・諏訪安芸守忠虎にお預けとなる一方で、切腹を覚悟していた赤穂浪士の遺児は遠島(流罪)の処分で済み、綱吉の死後には長広により赤穂浅野家は再興した。
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この一連の事件を「赤穂事件」と呼び、寛延元年(1748年)に成立した浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の影響もあって、現代でも『忠臣蔵』としてよく知られている。

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