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臼井城 の変更点

*現実の城情報 [#information]
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平安時代に下総の名族千葉氏の一族である臼井氏が居館を構えたが、臼井城との関係は不明である。
年代記や軍記物語には康正元年(1455年)の落城記事が初見で、享徳の乱での内紛で千葉氏の傍系馬加千葉氏が惣領家に反旗を翻した際、これを支援した原氏が臼井城に馬加千葉氏の孝胤を迎えて籠城している。
馬加千葉氏は千葉氏宗家となったため、原氏は千葉家中において突出した地位を占めることとなり、天文7年(1538年)の第一次国府台合戦に勝利した後、原氏は臼井城の本拠地化を進めていった。
臼井城は千葉氏の本拠地[[本佐倉城]]と下総中北部を分け持つような関係にあり、千葉氏の勢力維持に重要な役割を果たした。
やがて下総は北条氏と反北条氏勢力が衝突する場となり、臼井城も上杉謙信の攻撃を受けたがこれを撃退し、この戦い以後関東の諸将は次々に謙信から離反、臼井城は関東戦国史の転換点の舞台となった。
その後小田原征伐の際に開城され、徳川家康の重臣酒井家次が入城するが、転封により慶長9年(1604年)に廃城となった。

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|所在地|千葉県佐倉市臼井字城ノ内|
|現存状態|堀、土塁など|
|城郭構造|連郭式平山城|

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