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笠置山城 の変更点

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京都府最南端の山間部を流れる木津川の南岸、標高289メートルの笠置山に立地し、元弘の変の舞台となった。
元弘元年(1331年)8月、後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒の計画が発覚したため笠置寺に入って挙兵し、その本堂を皇居とした。
南北朝時代には山岳寺院を利用した山城が数多く見られたが笠置山城はその代表的なもので、急峻な山に築かれた笠置寺そのものを城郭として利用し、戦国時代の山城に見られるような本格的な防御施設は構えられなかった。
笠置山城は一ヶ月間の籠城戦の末落城し後醍醐天皇は逃亡、笠置寺の大部分は炎上した。その後本堂は永徳元年(1381年)に再建されたものの、応永5年(1398年)に再び焼失したという。
笠置寺の地は戦国時代においても軍事上の要衝として重要視され、山城国守護代の木沢長政が曲輪や堀切、竪堀などを設けて城郭化している。

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|所在地|京都府相楽郡笠置町笠置山|
|現存状態|曲輪、堀切、竪堀など|
|城郭構造|山城|

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