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知覧城 の変更点

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平安時代末期に知覧忠信によって築かれたとされる。文和2年(1353年)に島津忠宗の三男で佐多氏初代の忠光が入り、以後一時的に離れることはあったものの知覧の地は明治維新に至るまで佐多氏が支配した。
知覧城は佐多氏十一代久慶の時の火災によって廃城になったが、近世の知覧は薩摩藩島津氏の外城(麓)となった。
南九州にはシラス台地をほぼ垂直に削り込んだ切岸や深さ20~30メートルにおよぶ空堀、各曲輪が独立した群郭式の縄張を特徴とする、他の地域では類を見ない南九州型城郭と呼ばれる特異な構造が見られ、知覧城はその代表格といえる。
知覧城の遺構は保存状態が良好で規模も大きく、中世の島津氏一族の拠点であり、かつ近世の外城の前身でもあるという連続性も歴史的に重要であり、平成5年(1993年)に国指定史跡となった。

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|所在地|鹿児島県南九州市知覧町永里|
|現存状態|切岸、空堀、土塁など|
|城郭構造|山城|

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