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比恵 の変更点

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比恵遺跡(ひえいせき)は那珂川と御笠川に挟まれた丘陵上に立地し、遺跡面積は約70ヘクタールで、縄文時代の終わりごろから戦国時代に至るまでの集落、墳墓地として知られている。
日本書紀宣化元年(536年)条に「那津(博多湾)の口に、官家を修り造てよ」という記述があり、「官家(みやけ)」とは大和政権による政治・経済・軍事上の拠点のことで、「屯倉」「三宅」とも表記する。
博多湾岸に置かれた官家は通常「那津官家(なのつのみやけ)」と呼ばれ、かつては「ミヤケ」という読み名が共通することから那珂郡三宅郷(南区三宅)にあったと考えられた。
しかし、比恵でおこなわれた昭和59年(1984年)、平成12年(2000年)の二度にわたる発掘調査の際、3本柱の柵に囲まれた10棟の大規模な倉庫(総柱建物)群が発見されたことで状況が一変する。
建物の機能していた時期は6世紀後半から7世紀後半と考えられ、柵の規模は明らかでないものの、周辺の調査から南北55メートル~58メートル、東西50メートル以上の方形区画が推定される。
これらは規模の上でも、そして建物配置の規格性から見ても、きわめて国家的な施設であると考えることができ、また、周辺には「三宅田」「官田」など「ミヤケ」との関連がつよい小字名があり、この地こそが那津官家と考えられるようになった。


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|所在地|福岡市博多区博多駅南4丁目|
|現存状態|堀立柱跡|
|城郭構造|平城|

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