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新城城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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新城城(しんしろじょう)は豊川北岸に築かれた平城であり、戦国時代後半~明治維新期までの長きにわたり当地の統治拠点であった。
豊川北岸に接する平地に土塁と空堀を用いて構築された城であり、豊川沿いに伸びる伊那街道のおさえの城という位置づけがあったものと思われる。
築城者は[[長篠城]]主奥平信昌であるとされ、長篠の戦いの際に損傷した[[長篠城]]にかわる拠点として建設したとされている。
それ以前の当地の領主であった菅沼定継が築いた新城という城が存在するが、これは当城とはまったく別の城であるとされている。
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奥平信昌は天正18年(1590年)徳川家康の関東移封によって上野国へと移り、一旦[[吉田城]]主池田輝政の支配下に入った。
関ヶ原の合戦後池田輝政が播磨へ移ると天領となり、その後慶長11年(1606年)に水野分長が入り三河新城藩となり城下町の整備などが行われた。
しかし、新城藩は2代目藩主元綱が慶安元年(1648年)に上野国安中に移封されたため消滅。
かわりに丹波亀山藩主菅沼定芳の子菅沼定実が7000石の交替寄合として当地に入り、陣屋を築きそのまま明治維新まで代を重ねた。
(なお、この菅沼氏は先述の菅沼定継(田峯菅沼氏)の同族ですぐ近くの野田城主だった野田菅沼氏の流れである)
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城跡地はほとんどが新城小学校の敷地となっており、遺構は小学校の南にわずかに残された土塁跡や一部の空堀程度である。
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|所在地|愛知県新城市東入船|
|現存状態|土塁、空堀|
|城郭構造|平城|
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