弁天台場 の変更点
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 弁天台場は、江戸幕府が1856年から1863年にかけて、外国船襲来に備えて箱館湾沖に建設した砲台である。 周囲390間余の不等辺六角形で、上から見ると将棋の駒のような形をしていたこの砲台は、総面積11,611坪、高さ37尺の石垣をもつ土塁2,350尺で囲まれていた。 東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口を構え、砲眼15門を装備し、その中にはロシア艦ディアナ号のものもあったといわれている。 外国船襲来に備えて建設されたこの砲台であったが、実際に使用されたのは函館戦争においてであった。 函館湾海戦において、新選組が中心となった旧幕府軍がこの砲台に立てこもり奮闘するが、函館市内を新政府軍に占拠され孤立させられると、1869年、本陣[[五稜郭]]に先立って弁天台場は新政府軍に降伏をした。 その後、明治政府により設置された開拓使の所管に、1873年には陸軍省の所轄となり号砲を撃つための砲台として利用された。 1896年に港湾改良工事のため取り壊され完全にその姿を消すこととなる。 解体された弁天台場の石材は函館漁港の船入澗防波堤の資材として再利用されており、それに直接触れることで幕末を感じることが出来るかもしれない。 だが、1896年に港湾改良工事のため取り壊され、その姿を完全に消すこととなった。 解体された弁天台場の石材は、函館漁港の船入澗防波堤の資材として再利用されている。防波堤の石材に触れて幕末を感じてみないか? |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|北海道函館市| |現存状態|碑| |城郭構造|砲台| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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