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小幡城 の変更点

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常陸国府から水戸方面に通じる陸前浜街道の中継地点、寛政川右岸の舌状台地に築かれた、茨城県内最大級の中世城郭。
応永24年(1417年)に常陸大掾詮幹の三男義幹が築いたとの伝承があるが、大掾氏系図に両者の名前はなく信憑性は薄い。
戦国時代には[[水戸城]]の江戸氏の支配下に置かれ、[[小田城]]の小田氏と府中城の大掾氏に対する境目の城として機能した。
天文14年(1545年)には江戸忠通によって平戸左馬助が小幡城の城代となり小田氏に対峙し、天正13年(1585年)~天正16年(1588年)の大掾氏との争乱の際には江戸氏が小幡城に在城している。
天正18年(1590年)、[[常陸太田城]]の佐竹義宣は水戸城を攻略して江戸重道は逃亡し、その後江戸氏に属する諸城を攻撃した際、小幡城も落城し廃城になったとされる。
天正18年(1590年)、[[佐竹城]]の佐竹義宣は水戸城を攻略して江戸重道は逃亡し、その後江戸氏に属する諸城を攻撃した際、小幡城も落城し廃城になったとされる。
現在の小幡城は、戦国時代そのままの状態が残されているかのように、遺構の保存状態が極めて良好である。
巨大な堀と土塁が複雑に入り組んだ壮大な縄張を見られ、規模だけでなく技巧の面でも茨城県屈指の中世城郭といえる。

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|所在地|茨城県東茨城郡茨城町小幡|
|現存状態|土塁、堀など|
|城郭構造|平山城|

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