Top > 城塞都市テュロス


*現実の城情報 [#information]

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テュロス(ティルス)はレバノン南部の海に浮かぶ島に建設された城塞都市で、フェニキア人の本拠地の一つとなり、後の十字軍の時代にも重要な役割を果たした。
遺跡には紀元前26~30世紀ごろの建設活動の跡があり、アマルナ文書にはテュロス王の書簡があることから、少なくとも紀元前14世紀には既に活発な活動がされていたとみられる。
紀元前10世紀ごろになると都市の強化が大きく進み、街は高い城壁と櫓に包まれ、神殿には新たに都市神メルカルト(ヘラクレス)が迎え入れられた。
テュロスは新アッシリア帝国の攻撃や、[[新バビロニア>バビロン]]による13年間の包囲にも耐え抜き、難攻不落の城塞と称されたが、紀元前332年にアレクサンドロス大王により初めて落城された。
テュロスは[[新アッシリア帝国>城塞都市ニネヴェ]]の攻撃や、[[新バビロニア>バビロン]]による13年間の包囲にも耐え抜き、難攻不落の城塞と称されたが、紀元前332年にアレクサンドロス大王により初めて落城された。
その後はペルシアやローマなどの周辺勢力の下で繁栄し、十字軍遠征では十字軍の主要拠点の一つとなったが、マルムーク朝の時代になると都市の重要性が下がり放棄された。
1984年には「ティルス」として世界文化遺産に登録された。

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テュロスは海上交易で繁栄したフェニキア人の主要拠点で、往時には西はイベリア半島、東はメソポタミア北部からアラビア半島に至る交易ネットワークの中心に位置した。
そうした商業都市としても発展したテュロスには当時の世界中のありとあらゆる品物が集まり、そうしたテュロスの商人の活躍について旧約聖書の中でも以下のように触れられている。
 ティルス(テュロス)は王冠を戴き、その貿易商人たちは貴族。
 取り引きする者らは世界に重んじられていた。
 (「イザヤ書」23章8節 新共同訳)
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また、テュロスは商業だけではなく織物や金属加工などの手工業の分野でも名をとどろかせていた。
特に近海で捕れる貝を使った貝紫の染物が有名で、その色はテュロスの名を取って「ティリアンパープル」とも呼ばれる。
かつての西洋においては王者の色とされ、皇帝や皇后、高位の聖職者の衣服に使われ、一般人は使用を禁じられるほどだった。
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紀元前8~9世紀にかけてはフェニキア人の拠点としての最盛期を迎えていた。
しかし、新アッシリア帝国の拡大などによるオリエント世界の動乱や、西方の植民市[[カルタゴ>城塞都市カルタゴ]]の成長などにより、次第とかつての存在感を失っていった。
テュロス自体も新アッシリア帝国や、新バビロニアによる攻撃を受け、落城こそしないものの明確な勝利も無く、どれも相手に降伏することで決着していた。
そして最後にはアレクサンドロス大王により、対岸からテュロスにつながる堤防を築かれ、そこに注意を向けているうちに他方の城壁を破壊されて落城した。
現在はその堤防の周りに土砂がたまり、かつて島だったテュロスは陸繋島となっている。
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落城後、すぐにテュロスは復興を認められて急速な復興を果たし、フェニキア人の王が治める街ではなくなったが以降も繁栄を続けた。
特にローマ時代には、内陸にある[[ダマスカス]]の港としても発展し、ハドリアヌス帝からも重要都市と位置付けられた。
現在もこの時代に建設された遺構が多く残っている。
その後も東ローマ帝国やイスラム勢力の統治下で地域の中心都市であり続けた。
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その後、十字軍遠征の時代に再びテュロスが脚光を浴びた。
特に第3回十字軍においては、テュロス防衛にあたっていたコンラート1世がサラディンの攻撃を退け続け、遠征開始時点における数少ない十字軍側の拠点となった。
コンラート1世は、テュロスを大軍の上陸拠点として十字軍側に提供し、[[リチャード1世>現実の人物情報#bd1c639c]]やフィリップ2世と共に南に位置する城塞都市アッコンを攻略した。

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|所在地|レバノン共和国 スール|
|現存状態|ローマ時代の遺構が残る|
|城郭構造|城塞都市|

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&color(White,Maroon){王女エウロペの伝説(クリックで表示)};
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テュロスは古代から存在する城塞都市であるため、周辺地域の神話などにもたびたび登場する。
中でも特に有名なものが、ギリシャ神話の中で語られる王女エウロペの伝説である。
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エウロペは、神話上のテュロスの王アゲーノールとテーレパッサの娘として登場する。
美しく成長した彼女はゼウスに見初められ、白い牡牛に変身したゼウスにより海を渡った西の彼方へと連れ去られた。
この連れ去られた先が、彼女の名前を取って現在「ヨーロッパ」と呼ばれるようになった。
また、カドモスら彼女の兄弟はアゲーノールに命じられてエウロペの捜索に向かわされ、その先でフェニキア文字、後のアルファベットを伝えたという。
また、捜索に出た兄弟たちは結局エウロペを見つけられず、テュロスに戻ることも許されず各地で自身の国を作り、特にカドモスが建てた都市国家テーバイは[[アテナイ>アテナイ・アクロポリス]]等と覇を競う大国となった。

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栗田伸子・佐藤育子『通商国家カルタゴ』講談社〈講談社学術文庫〉, 2016年
Wikipedia, Tyre, Lebanon, https://en.wikipedia.org/wiki/Tyre,_Lebanon , 2020/5/16閲覧
Wikipedia, コンラート1世 (モンフェラート侯), https://ja.wikipedia.org/wiki/コンラート1世_(モンフェラート侯) , 2020/5/16閲覧
Wikipedia, エウローペー, https://ja.wikipedia.org/wiki/エウローペー , 2020/5/16閲覧

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