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十市城 の変更点

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大和五大国人の一つである十市氏の居城で、奈良盆地の南東部を流れる寺川右岸に築かれ、大和の平城としては[[筒井城]]に次ぐ第二の規模を誇る。
十市氏は鎌倉時代後半から十市郷を本拠として勢力を持っていたが、他の大和五大国人である筒井氏と越智氏の両勢力に圧迫されるようになり、戦国時代初期に越智氏によって十市郷を接収され一時没落した。
享禄元年(1528年)に河内守護畠山氏の被官である木沢長政が大和に侵攻すると、これに乗じて十市氏は勢力を回復し、歌人としても知られる十市遠忠は[[龍王山城]]を整備し、さらに十市館を十市城と呼ばれるほどの規模にまで拡張し、両城を居城として十市氏の最盛期を築いた。
しかし遠忠の跡を継いだ遠勝が永禄12年(1569年)に死去すると、十市氏の一族や家臣は大和の覇権を巡って争っていた筒井方と松永方に分裂し、十市城は筒井方、龍王山城は松永方として戦うこととなった。
十市氏は筒井氏・松永氏に代わって織田信長から大和守護に任じられた塙直政の下でも抗争を続けたため、天正4年(1576年)に十市城が直政に接収され、十市氏の一族は退去し十市城は廃城となった。

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|所在地|奈良県橿原市十市町|
|現存状態|なし|
|城郭構造|平城|

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