匂坂城 の変更点
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 遠江の国人領主匂坂氏が居所とした城で天文元年(1532)匂坂筑前守六郎五郎長能は、社山城主を菅沼重左衛門定平と交替し、本領匂坂に城砦を構築した。また社山城より若宮八幡社を匂坂城に移し鎮守とした。元亀3年(1572)遠江に侵攻した武田信玄は、匂坂城を落とし、重鎮穴山梅雪を置いて守らせていた。この頃の匂坂城は、武田軍の二俣攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役割を果たしていた。城跡は本城跡といい、宝暦年間(1751~1764)、土地を鋤塚とし、槍、太刀等が出、若宮八幡社内に納められた。 遠江の国人領主匂坂氏が居所とした城で天文元年(1532)匂坂筑前守六郎五郎長能は、社山城主を菅沼重左衛門定平と交替し、本領匂坂に城砦を構築した。また社山城より若宮八幡社を匂坂城に移し鎮守とした。元亀3年(1572)遠江に侵攻した武田信玄は、匂坂城を落とし、重鎮穴山梅雪を置いて守らせていた。この頃の匂坂城は、武田軍の[[二俣城]]攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役割を果たしていた。城跡は本城跡といい、宝暦年間(1751~1764)、土地を鋤塚とし、槍、太刀等が出、若宮八幡社内に納められた。 『匂坂城跡』説明碑より引用 |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|静岡県磐田市匂坂上| |現存状態|なし| |城郭構造|平城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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