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出石城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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出石の街の歴史は古く、「古事記」「日本書紀」に登場する新羅国の王子・アメノヒボコによって拓かれたと伝わる。なお、出石の名もアメノヒボコが携えてきた「いずしのほこ」に由来するとされる。
室町時代初期から但馬国に権勢を及ぼすようになった山名氏は出石に[[此隅山城]]を築き本拠としていたが、永禄12年(1569年)羽柴秀吉に攻め落とされてしまう。

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山名氏は出石領主として復帰する際に[[有子山城]]を新たな本拠に定めたものの、山名氏は再び織田と敵対、有子山城も羽柴秀吉の手によって落とされ、山名氏は滅亡した。
有子山城主は幾度かの交代の後、秀吉の親戚である小出吉政が封じられた。
吉政の子・吉英は慶長9年(1604年)に出石6万石の領主となると、有子山城の山城部分を廃す一方、有子山山麓の縄張を利用して平山城を築いた。
これが出石城である。
出石城の築城に合わせて現在の位置に城下町も整備された。
出石城は明治元年(1868年)に廃城となり、明治9年(1876年)には大火のため旧城下町の大半が消失する憂き目に遭ったが、
出石の城下町は重要伝統的建造物群保存地区に指定され観光客で賑わいを見せている。


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|所在地|兵庫県豊岡市出石町内町|
|現存状態|堀、石垣など|
|城郭構造|梯郭式平山城|
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