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モンマス城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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ワイ川とその支流モノウ川に挟まれたかつてのイングランドとウェールズの国境の町モンマスの城。
モンマスはワイ川渓谷の要衝で、数少ない渡河ポイントの一つだった。
モンマス城は町の西寄り、モノウ川沿いのカッスル・ヒルと呼ばれる小さな丘の上に建つ囲郭式城郭で、国境地帯の城砦網の一角をなしていた。
またランカスター朝イングランドの最盛期を築いたヘンリー5世が産まれた城としても有名である。
主郭は遺跡化しているが、17世紀に建てられた城館は現在でも国防義勇軍((義勇軍といっても現在は王立陸軍の正式な志願制予備役部隊))の施設および資料館として利用されている。

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征服王ウィリアム1世はフィッツオズバーンなど側近三人にそれぞれ半自治を認めた辺境領を与え、それぞれ独自にウェールズを攻めさせた。
フィッツオズバーンは最も南部を担当し、その出撃と統治の拠点となる城を複数築いた。その一つがモンマス城で、他に[[チェプストー城]]などがある。
モンマスには1066年から1069年にかけて円形の堀で防御した木造の城が築かれ、1150年代までに石造に改築された。
モンマスとチェプストーは11世紀末から12世紀にかけて南東ウェールズに対する二大重要拠点であり、周辺には他にも多数の城がある。
独立性の高い辺境領主が任じられ、ウェールズ南東部の諸王国勢との間で一進一退の攻防が繰り広げられた。
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13世紀に王家の傍流であるランカスター家が城主となり、モンマス地方における居城として大改装を行う。大広間やキープの上部に窓をつける((通常は戦闘時のことを考えて、キープには大きな窓はつけない))などした。
またモノウ橋(後述)を石造に架け替え、その通行税で城とモンマスの町を囲む市壁を築いた。1387年には後のヘンリー5世がこの城で産まれている。
王家に近しい城として防御が固められていたため、オワイン・グリンドゥールの乱の時には反乱軍は手を出さなかったが、周辺が襲撃・略奪される。
ウェールズ辺境領が16世紀に廃止され自治領となると城のキープは法廷として使われるようになり、巡回判事が定期的に裁判を行った。
ウェールズ辺境領が16世紀に廃止され自治領となると城は法廷として使われるようになり、巡回判事が定期的に裁判を行った。
17世紀中盤の内戦時代、モンマス城は三度持ち主を入れ替えるほどの議会派と王党派の激戦区の一つとなった。
落城の後1648年に城を訪れたクロムウェルの指令により破却が命じられ、軍事利用に耐えられないように主要部分が破壊された。
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現在城内に建つ城館、通称グレート・カッスル・ハウスは自治領の首長((領主ではなく知事))に任じられたウースター侯ヘンリー・サマセットが儀礼・執務用の居館として1673年に建てたもの。破却された元のモンマス城の石材を資材として使っている。
その後ウースター侯はボーフォート公爵に昇格し、更に大きな居館が必要となったためモンマス城を手放して他に移った。
グレートカッスルハウスは巡回裁判所の法廷や巡回判事の宿泊施設に使われ、一時期は女学校の校舎にもなった。
1875年からは王立義勇軍のモンマスシャー王立工兵連隊本部として使われ、1989年からは16世紀に創設された歴史ある連隊の資料館としても公開されている。

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|所在地|ウェールズ、モンマスシャー、モンマス|
|現存状態|城壁、城塔跡、城館|
|城郭構造|囲郭式城郭|

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***モノウ橋
中世、街道上の橋はしばしば防御設備を備えて小要塞化された。関所であり税関でありまた軍事拠点にもなった。塔や胸壁を持つものも少なくない。
モンマスの町の西側、モノウ川にかかるこの橋は現在に残るその数少ない、特にイギリス国内においては''唯一''現存するものである。
13世紀後半にその前にあった木造橋を架け替えて石造橋が作られ、その数年後に門楼が追加設置された。門楼には時期は不明だがおそらく14世紀に石落としが追加され、18世紀までは門楼内に門番が常駐していた。
この橋で徴収された通行税は橋とモンマスの市壁の建設・維持に使われ、町から西側への唯一の橋として維持管理が続けられた。
橋はいつしかモンマスの町のシンボルとなり、19世紀末から20世紀初頭に最初の保存計画が実行された。その後も様々な施策がなされて現在に至る。
これほど古い橋でありながら1965年のバイパス建設までは町のメインストリートであり、なんと2004年までは自動車も通行できた。現在はさすがに歩行者専用となっている。

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