Top > メイデン・キャッスル


*現実の城情報 [#information]

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メイデンあるいはメイドゥン・キャッスルはイングランド南西部ドーセットシャーにある鉄器時代の遺跡。
城と呼ばれているが、丘を利用したヒルフォートと呼ばれる土塁と堀で防御された区画であり、環濠集落に近い性格のもの。
周辺には多数のヒルフォートが残っているが、中でもメイドゥンはイギリスのヒルフォート最大の20ヘクタールに達する面積を持つ。
Maidenという名とつづりは乙女・少女の意味ではなく、ケルト語で「大きな丘」を意味するメイ・ダン(mai dun)が転訛したもの。
石灰岩質の丘の潰れた楕円形の頂上を中心に、周囲を四重から五重の空堀で囲んでいる。ヒルフォートの中でもこれだけの土塁と空堀を備えたものは数少なく、それだけ重要・大規模な拠点であったと思われる。
また遺跡の一角には製鉄・加工場として使われた区画があった。

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メイデン・キャッスルが建つ土地周辺は紀元前3000年よりも前から生活・放牧地として使われていて、当時の矢じりが発掘されている。
鉄器時代に入りケルト人(ブリトン人)の手で紀元前600年ごろまでにヒルフォートとして完成。この頃は他と比べても平均的な広さだった。
その後紀元前450年ごろと150年ごろに二度にわたって拡張・大改装が加えられ、結果20ヘクタール近くの広大な敷地を持つようになった。
その後紀元前450年ごろと紀元前150年ごろに二度にわたって拡張・大改装が加えられ、結果20ヘクタール近くの広大な敷地を持つようになった。
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AD1世紀中期にはローマ人がブリテン島に侵攻。ローマ軍によって攻撃されたと記録されるいくつかの町のうちのひとつだと考えられる。
紀元1世紀中期にはローマ人がブリテン島に侵攻。ローマ軍によって攻撃されたと記録されるいくつかの町のうちのひとつだと考えられる。
かつては近隣のホッド・ヒル同様攻撃を受けて破壊されたと考えられていたが、調査によりそこまでの大破壊の痕跡は認められていない。
ただしいずれにしてもケルト民族の大規模な拠点だったことは間違いなく、おそらく攻撃そのものは受けただろうと考えられている。
ローマ人はメイデンキャッスルの北東に植民市ドゥルノヴァリア((現在のドーチェスターにあたる))と街道を築き集落もそちらに移り、周囲のヒルフォートは廃れた。
ローマ人はメイデン・キャッスルの北東に植民市ドゥルノヴァリア((現在のドーチェスターにあたる))と街道を築き集落もそちらに移り、周囲のヒルフォートは廃れた。
ローマ時代には頂上部に神殿が建てられたが、その後は中近世を通じて単なる農地・放牧地として使われた。歴史学的に取り上げられるようになるのは19世紀に入ってからのちのことである。

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|所在地|イングランド、ドーセット、ウィンターボーン・セントマーティン|
|現存状態|土塁、空堀|
|城郭構造|ヒルフォート|

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