Top > ミケーネ・アクロポリス


*現実の城情報 [#information]

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古代ギリシアで栄えたエーゲ文明のうち、後期にアカイア人がペロポネソス半島に築いたミケーネ文明の中心地。
古代オリエントでは古くから城郭や城塞都市が発達したが同時代のヨーロッパでは未発達であり、前2000年頃に最古の文明であるエーゲ文明が起こり、その前期のミノア文明(クレタ文明)が城壁を用いない開放的な文明だったのに対し、後期のミケーネ文明はより戦闘的なものだった。
このミケーネ文明で初めて本格的な城郭が築かれるようになり、同時にヨーロッパにおける城郭建築の始まりでもあった。
ミケーネはペロポネソス半島東部に位置し、後のギリシアで見られる民主政とは異なる王政で、王城はアクロポリス(丘陵)に建てられ堅固な城壁で防御された。
王城の中央には大広間を備えるメガロン形式の宮殿と神殿が並んで中心部を形成し、城壁には要所に城門が構えられた。

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城壁はオリエントの煉瓦造りのものとは異なり巨石によって築かれており、後にこれを見たギリシア人がギリシア神話に登場する単眼の巨人キュクロープス(サイクロプス)により築かれたものとして「キュクロープスの城壁」と呼んだ。
城門のなかでは、王城の正面に置かれライオンの彫刻が表面に見られる「獅子門」がよく知られ、両側から門を包み込むように城壁が築かれており、極めて堅固な造りとなっている。
裏門は王城の北東部に置かれ、構造は獅子門と同じだが全体的に小規模であり、ライオンの彫刻も見られない。
王城の東端は前13世紀以降に城壁が拡張されたと考えられ、この部分に地下井戸がある。その入口は城壁の基部に設けられ、城壁外へと地下道を曲がりくねって降りた先に、ようやく岩盤を掘り下げた深い井戸に到達する。ギリシアは降水量が少ないため、飲料水を確保するためこのように厳重な井戸が造られたものとされる。
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ミケーネ文明は前1200年頃ドーリア人の南下、海の民の侵攻、大規模な気候変動などによって崩壊し、ミケーネは破壊された。
19世紀後半になってミケーネはドイツ人考古学者のシュリーマンによって発掘され、古代ギリシアの文明がヨーロッパの人々に発見されることとなった。
1999年、ミケーネは「ミケーネとティリンスの古代遺跡群」の一部として世界遺産に登録され、2010年には日本城郭協会によって「ミケーネのアクロポリス」として[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]に選定された。

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|所在地|ギリシャ、ペロポネソス地方アルゴリダ県アルゴス=ミキネス|
|現存状態|城壁、城門など|
|城郭構造|アクロポリス|
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