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ペンブルック城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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ウェールズ南西部の町ペンブルック、二つの川の合流地点に突き出した突端部分の天然の要害に築かれた城。代々のペンブルック伯爵が居城として用いた。
公開されている個人所有の城としてはウェールズで最大の大きさである。
現在の場所に11世紀末にシュルーズベリー伯の息子アーナルフ・モンゴメリーが一帯を制圧しここに城を築いた。
その後ウェールズ人勢力の攻撃を何度となく受けるが撃退し、ノルマン朝イングランドにおけるウェールズ南西部支配の中心拠点として栄えた。
余談であるがこの地名はペンブルックとペンブロークで日本語表記が一定しない。ここではペンブルックで表記する。

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その後モンゴメリ家は反乱を起こして取り潰され、1138年ギルバート・ド・クレアがペンブルック伯に封じられる。
のちにギルバートの孫のペンブルック女伯イザベルと結婚し爵位を継いだウィリアム・マーシャルによって石造りの城に改築された。
この時に建てられた、グレートタワーとあだ名される太い円形のキープはこの城のシンボルとなる。ウィリアム・マーシャルが十字軍に参加していたため中東の築城技術の影響が見られる。
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この時に建てられた、グレートタワーとあだ名される太い円形のキープはこの城のシンボルとなる。『当代最高の騎士』と謳われたウィリアム・マーシャルは十字軍にも参加していたため、中東の築城技術の影響が見られる。
なおウィリアムとイザベルは40歳と17歳という年の差夫婦であったが夫婦仲はたいへん良好であったと伝わる&color(Silver){もげろ};。

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そんな夫婦仲に嫉妬した……というわけではないはずだが、呪いを受けたマーシャル家((本当に呪いの伝説がある))は男系が断絶し、ウィリアムの孫娘の婿ウィリアム・ド・ヴァランスが城と爵位を継ぐ。
そんな夫婦仲に嫉妬した……というわけではないはずだが、呪いを受けたマーシャル家((本当に呪いの伝説がある))は男系が断絶し、ウィリアム・マーシャルの孫娘の婿ウィリアム・ド・ヴァランスが城と爵位を継ぐ。
13世紀後期から14世紀初めにかけて、ペンブルックはウェールズ公国への攻勢拠点として用いられた。
ヴァランスは城の外郭を増設して城を拡張し、またペンブルックの町に市壁を築き、ペンブルック城もその一角をなした。この市壁は大半の場所で現存している。ただし市壁が完成したのは14世紀後半になってからだった。市壁はのちの領主ジャスパー・テューダーによって更に改築されている。
他のウェールズ諸城が巻き込まれた1400年のオワイン・グリンドゥールの反乱では城代が金を支払ったため攻撃を免れた。
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ジャスパー・テューダーの甥でテューダー朝の初代王ヘンリー7世は薔薇戦争のさ中1457年にペンブルック城で産まれた。激化する戦争でジャスパーの兄エドマンドが死に、ジャスパーは妊娠していた未亡人マーガレットを自分のペンブルック城に匿ったのである。
母はランカスター朝の庶流、父も王の異父弟にあたるヘンリーは叔父ジャスパーらランカスター派の後押しを受け1485年に即位する。
ヘンリーが生まれたペンブルック城の一角の塔はこれを記念してヘンリー7世塔と名づけられた。

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17世紀に清教徒革命・イングランド内戦が勃発する。ウェールズは王党派の強い地域であったがペンブルックは議会派を宣言する。
当然周辺の王党派による攻撃を受けるが議会派の援軍を得て撃退し、近隣の[[テンビー城]]など王党派の城を攻撃する拠点となった。
しかし1648年、クロムウェルの政策に反発し議会派から離脱することを宣言したため、一転してクロムウェルらの攻撃対象となる。
5月末、クロムウェル軍が城を包囲する。しかし攻城兵器を積んだ船が嵐で引き返してしまったため、クロムウェルらは正面攻撃を選択するが、城攻めの用意が不足しており失敗する。
攻城用の砲は6月中旬になってやっと到着する。しかし城の厚く強固な壁に阻まれて戦果は僅かであった。砲艦の艦砲射撃も試みられたがこれも上手くいかなかった。
結局城本体への攻撃ではなく城に水を供給していたパイプを占拠・切断し水の手を断ったことで、7月11日に守備隊が降伏する。
クロムウェルは城を破却しようとしたが、城が頑丈すぎて完全な破壊には至らなかった。

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その後は荒れ果てるままに放置されていたが、1928年に政治家アイヴァー・フィリップス卿によって購入され大規模な修復工事が行われた。
彼の死後に財団が設立され現在もフィリップス家と財団によって管理されている。
映画『冬のライオン』では舞台となる[[シノン城]]として使われた。他にも『カスピアン王子のつのぶえ』(映画ではなくBBC製作のドラマ版)や映画『リチャード2世』などのロケ地にも使われている。

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|所在地|ウェールズ、ペンブルックシャー、ペンブルック|
|現存状態|主城塔、城壁、堀など|
|城郭構造|囲郭式・平城|

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***城郭構造
築城された当時はモットアンドベイリー型だったが、その後キープが城壁から独立して建つアーリーイングリッシュ様式に改修されている。
ウィリアム・マーシャルによって石造化された頃は主郭部分しかなくその外に堀を設けていた。
13世紀中期のウィリアム・ド・ヴァランスによる改修で外郭部分が拡張されて現在見られるような城壁と防御塔で防衛する構造が完成した。
更に外郭は市壁と連結され、町全体の防衛施設と一体となった。
最大の特徴である円柱型のキープはドーム状の屋根を持つ五層構造で高さ23メートル、壁の厚さは6メートルに達する。

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