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ピール城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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アイリッシュ海のイギリス王室属領、マン島の西岸の町ピールの北に浮かぶ聖パトリック島に建つ城。島と本島の間は細い陸橋で繋がっている。
聖パトリック島そのものを城壁で囲んで要塞化した水城で、城内には島の名前の由来となった聖パトリックが5世紀に創建した修道院の遺構もある。
島は全体的に切り立った岩の崖に囲まれていて、マン島本土と繋がっている側以外には攻め口がない構造となっている。
後述する黒い魔犬「モーザ・ドゥーグ」の伝承でも知られている。

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城の建つ小島は青銅器時代から居住地として利用されていた。5世紀には前述の聖パトリックが修道院を建て、その後8世紀末にバイキングが侵入。
11世紀、マグヌス裸足王((ノルウェー王マグヌス3世))の治世に配下のバイキング戦士団によって木造の城が築かれたが、それ以前にも何らかの施設があった可能性もある。
修道院時代にすでに築かれていた石造の円塔も城の構造物に転用された。20世紀の調査ではこの時代のバイキングやその家族の墓が発掘されている。

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13世紀にマン島の支配権はノルウェーからスコットランドに譲渡され、14世紀初めに石造城壁と塔が追加された。牢獄としても使われた。
この間12世紀には城内に修道院が復興され、スコットランドとイングランドの間でマン島の所有権が行き来した時代の間も修道院として用いられた。
18世紀に修道院が本島へ移転した後は廃墟となっていたが、1860年代後半には再び沿岸防衛陣地として用いられた。
現在はマン島ナショナル・ヘリテージの管理下におかれていて、冬季以外は一般公開されている。マン島政府が発行する10ポンド札の券面にピール城が描かれている。
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|所在地|王室属領マン島、グレンファーバ郡、ピール|
|現存状態|城壁、城塔、修道院跡|
|城郭構造|囲郭式城郭|

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***モーザ・ドゥーグ

モディ・ドゥー、マーザ・ドゥーとも。ピール城に現れた黒い妖犬。イギリス諸島に広く伝わる”ブラック・ドッグ”伝説の一つ。
大きさは話によって違い、子牛ほどからスパニエルより少し大きいサイズまである。いずれでも黒くて毛むくじゃらであったという。
この伝説は18世紀にマン島の伝説をまとめた地元の郷土史作家 ジョージ・ウォルドロンによって記録されている。
モーザ・ドゥーグは夜になると番兵の詰め所に音もなく現れ、暖炉の前で寝そべっていた。番兵は黒犬がいる間は神を冒涜するような言動を慎んだ。
ある日一人の酔っ払った兵士がモーザ・ドーゥグをからかい鍵束をつかんで城の通路に入っていくと、モーザ・ドゥーグはそれを追っていった。すぐ後に兵士の絶叫が響き渡り、兵士は3日後に口が聞けないまま死んでしまった。
ある日一人の酔っ払った兵士がモーザ・ドゥーグをからかい鍵束をつかんで城の通路に入っていくと、モーザ・ドゥーグはそれを追っていった。すぐ後に兵士の絶叫が響き渡り、兵士は3日後に口が聞けないまま死んでしまった。
また別の逸話ではピールの町の漁師の命を救った話もある。漁師たちが夜の漁に出ようとしたところ大きな黒い犬が立ちふさがり、どの道を通ってもその前に現れて道をふさいで邪魔し続けた。漁師たちは船を出すのを諦めたが、その日の夜中は暴風が吹き荒れ、もし船を出していれば難破していたに違いないと船乗り達は言い合ったという。

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