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パラミディ城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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東地中海世界における覇権を握ったヴェネツィア共和国が、その植民地としたナフプリオンに築いた要塞で、その名はトロイア戦争の英雄パラメデスにちなむ。
ナフプリオンはペロポネソス半島のアルゴリコス湾に臨む、湾に突出した岬に位置する都市で、古来より要港として重視され商業の中心地だった。
そのため岬の断崖上には、起源を古代ギリシアにまで遡る「ギリシア人の城砦」、フランク人が建てたものを13世紀に改修した「フランク人」の城砦、そして「トリオーネ城」の3つの城砦が並び、ナフプリオンを守ってきた。
またヴェネツィア共和国による14世紀末からの東地中海における積極的な領土拡大で、ナフプリオンは1388年にヴェネツィアの植民地となり、1471年にはベルガマスクの建築家ガンベロの設計でナフプリオン沖の小島にブルジイ砦が築かれ、ナフプリオンの市街地を防衛した。
パラミディ城はこれらの城砦とは別に、岬の背後にそびえる標高216メートルの岩山の全山を要塞化した城で、1540年にオスマン帝国にナフプリオンを奪われた後の1686年に奪還した、ヴェネツィアによる二度目の植民地時代に築かれた。

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建設は総督アゴスティーノ・サグレドがダルマツィアの技師に命じて1711年に始まり、1714年にはほぼ完成した。
パラミディ城は8つの砦を城壁でつなぐ形で構成され、サグレド家の守護聖人聖ジェラルドにちなむ聖ジェラルド砦を中心に、聖ニコロ砦や聖アゴスティーノ砦などが築かれ、それぞれが独立して機能したため一つの砦が占領されても他の砦から攻撃できるようになっていた。
しかしヴェネツィアはこの要塞を守るのに十分な兵力を置くことができず、オスマン・ヴェネツィア戦争中の1715年にオスマン帝国によって攻略された。
オスマン帝国はパラミディ城から港湾に至るまでの一帯を要塞化し、現在ナフプリオンに見られる城砦遺構はほぼオスマン帝国時代に改修を受けた姿となっている。
1821年3月にはオスマン帝国でギリシア独立戦争が起こり、パラミディ城も独立軍の包囲を受けた、守備軍は長期間にわたって持ちこたえたが1822年11月に陥落し、以後パラミディ城はギリシア臨時政府が置かれることとなった。
ギリシア人のもとでパラミディ城の各砦には古代ギリシアの英雄、レオニダス、ミルティアデス、テミストクレス、アキレウス、エパメイノンダス、ポキオンらの名前が付けられた。
1828年には独立したギリシア第一共和国の初代大統領イオアニス・カポディストリアスがナフプリオンに入り、翌年にはナフプリオンがギリシアの正式な首都となり、1834年にアテネに遷都するまで続いた。
パラミディ城はこの間刑務所となり、独立戦争の指導者の一人だったテオドロス・コロコトロニスが反逆罪で投獄されており、その後も1926年まで刑務所として機能していた。
2010年には日本城郭協会によって「パラミディ城」として[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]に選定された。

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|所在地|ギリシャ、ペロポネソス地方アルゴリダ県ナフプリオン|
|現存状態|城壁、城門など|
|城郭構造|山城|
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