Top > ドラッヘンフェルス城


*現実の城情報 [#information]

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『ニーベルンゲンの歌』の主人公、ジークフリートが竜を退治した場所という伝説が残る城で、ドラッヘンは「竜」、フェルスは「岩」や「崖」を意味し、「竜の岩山城」と通称される。
建造が開始されたのは1140年頃、ケルン大司教アルノルト1世の時代で、その後ボンの聖カシウス聖堂の主任司祭ゲルハルト・フォン・アーレ伯によって完成した。
ライン川を挟んだ対岸に位置するバート・ゴーデスベルクの高台に築かれたゴーデスブルク城とは対になる存在で、ドラッヘンフェルス城はケルン大司教領の都市ボン郊外、ケーニヒスヴィンターを押さえる役割を担っていた。
当時ケルン大司教領はサイン伯領と隣接しており、サイン伯家もまたレーヴェンブルク城を築いて対抗し、ドラッヘンフェルス城は境界を守る城としてサイン伯家に対する重要拠点となった。
1176年以降、ドラッヘンフェルス城は聖カシウス聖堂から任命された城代がドラッヘンフェルス家を名乗るようになり、やがて城代は聖カシウス聖堂から独立してケルン大司教の封臣となた。ドラッヘンフェルス家は採石業で富を蓄え、1400年頃には周辺の9つの村を所領として支配するようになったが、その宗家は1530年頃に断絶した。

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その後ドラッヘンフェルス城は複数の家系によって代るがわる支配される時代が続き、1634年にケルン大司教フェルディナント・フォン・バイエルンによって破却された。これは三十年戦争においてケルン大司教領を通過する軍団が、ドラッヘンフェルス城を宿営地として利用するのを防ぐためだったという。
1642年以降は廃墟となり、17世紀半ばのメーリアンの銅版画には採石現場が城の間近にまで迫っている様が描かれている。さらに城跡の土地がケーニヒスヴィンターの石工組合に売却されたことで荒廃はますます進み、1830年頃には採石のために城跡そのものが陥没し始めるという有様だった。
このような状況で城跡の保存を訴える運動が展開され、1836年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の提唱でプロイセン政府が城跡の敷地を購入し、1855年には保存工事が始められた。1833年にはケーブルカーも運行するようになり、山頂の城跡への移動が容易となった。
このような運動によって現在は観光地として多くの来城者を集めており、城跡の南西斜面一帯に生育するブドウでつくられる赤ワインは「ドラッヘンブルート(竜の血)」と呼ばれている。

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|所在地|ドイツ、ケーニヒスヴィンター|
|現存状態|廃墟|
|城郭構造|山城|

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