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カレメグダン城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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ドナウ川とサヴァ川の右岸、現在のベオグラード市内のカレメグダン地区に築かれた要塞で、古代から近代を通じた重要拠点として、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)やハンガリー王国、オスマン帝国、オーストリア帝国などが争奪戦を繰り広げた。城の呼称は時代によって異なるが、ここでは城名を「カレメグダン城」で統一する。
古来より交通の要衝として重視されたベオグラードの歴史は古く、紀元前3世紀にケルト人が築いたシンギドゥンの町を紀元6年にローマが制圧してシンギドゥヌムと呼び、その際にローマ軍団の駐屯地として築かれた要塞がカレメグダン城の原型となる。
ローマ帝国の後継国家、東ローマ帝国の時代も拠点の一つとなったが、フン人やアヴァール人に度々破壊され、スラヴ人がバルカン半島に進出すると9世紀末にはシンギドゥヌムはスラヴ語で「白の町」を意味するベオグラードに改称され、ブルガリア帝国やハンガリー王国との争奪戦が繰り返された。
特に12世紀の戦いは激しく、1127年にハンガリー王イシュトヴァーン2世がカレメグダン城を破壊してゼムン要塞を築き、1154年に東ローマ皇帝マヌエル1世コムネノスが奪還し、ゼムン要塞を破壊してカレメグダン城を再建した。

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やがてベオグラードはハンガリー王国の支配下に置かれるようになり、1284年にセルビア王ステファン・ドラグティンがハンガリー王国からベオグラードを与えられたのが、セルビア人によるカレメグダン城支配の最初の例となる。
セルビア王国はステファン・ドゥシャンの時代にセルビア帝国を称して強勢を誇ったが、ドゥシャンの死後に帝国は解体し、そのうちのセルビア専制公国がベオグラードを首都とした。
専制公ステファン・ラザレヴィチは1403年からカレメグダン城の大改修を行い、[[コンスタンティノープル]]のテオドシウスの城壁のような多重城壁で市街地を囲み、サヴァ川には軍港が設けられた。
この大改修の際に築かれた施設のうち、専制公の名を冠したデスポト・ステファン塔と西側の城壁は現在まで残されている。
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ステファン・ラザレヴィチ死後の1427年にはカレメグダン城はハンガリー王国に返還され、この時代にオスマン帝国による3回の大規模な攻囲戦を受けた。
オスマン帝国にとってベオグラードはバルカン高地からハンガリー平原に向かう入口にあたり、トランシルヴァニアやオーストリアへ進出する拠点にもなる都市であり、その奪取は悲願となっていたのだった。
1440年の、オスマン帝国スルタン・ムラト2世による最初の攻囲戦は撃退し、1456年のスルタン・メフメト2世による攻囲戦もハンガリーの英雄フニャディ・ヤーノシュが撃退し、これによりベオグラードには約70年の平和がもたらされた。
しかし1521年、オスマン帝国の最盛期を築いたスレイマン1世による攻囲戦によってついにカレメグダン城は陥落し、ベオグラードはオスマン帝国第二の都市として繁栄し、ハンガリーへの進出拠点を得たスレイマンは1529年に[[ウィーン]]包囲を行っている。
しかし1521年、オスマン帝国の最盛期を築いたスレイマン1世による攻囲戦によってついにカレメグダン城は陥落し、ベオグラードはオスマン帝国第二の都市として繁栄し、ハンガリーへの進出拠点を得たスレイマンは1529年に第一次[[ウィーン]]包囲を行っている。
以後ベオグラードは約150年間にわたってオスマン帝国が支配し、その間にもカレメグダン城は改修され、東の城壁の外側には城門外の陣地であるバービカンが設けられ、ネボイシャ塔が現在の姿となり、また多数の砲台が設置された。
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1683年のオスマン帝国による第二ウィーン包囲の失敗後にオーストリア帝国は反撃に転じ、ベオグラードは3回にわたってハプスブルク帝国に支配されることとなった。
特に1717年に行われた2回めの攻囲戦はオーストリアの将軍プリンツ・オイゲンの名声を大いに高めた戦いであり、その後オーストリアはカレメグダン城に最新の築城技術を投入した大改修を行い、カレメグダン城は当時のヨーロッパにおける最も強力な要塞の一つとなった。
やがてベオグラードは再びオスマン帝国の手に戻り、カレメグダン城は18世紀後半には現在の姿となったが、その軍事的重要性は失われていった。
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その後ベオグラードは最終的にセルビア人の支配に戻り、セルビア共和国の首都として現在に至っており、カレメグダン城の中心部はカレメグダン公園として多くの観光客を集めている。
2010年には日本城郭協会によって「カレメグダン城」として[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]に選定された。

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|所在地|セルビア、ベオグラード|
|現存状態|城壁、城塔、堀など|
|城郭構造|丘城|

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