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カルマル城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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カルマル同盟が結成された地として知られるカルマルに築かれた城で、スウェーデン最古の城の一つ。
スウェーデン南東の海岸部に立地するカルマルは港湾都市として商業が発達し、城は近海の海賊から都市を守るため13世紀半ばに築かれた。
当初は円形の監視塔が築かれたのみだったが、13世紀末に城壁が築かれ、その側面を守る城塔や城門塔が増築され、さらに周囲を堀で囲むことによって防御された。
カルマル城の設計は[[カーナーヴォン城]]をはじめとするイングランド王エドワード1世の城郭群の影響を受けているとされ、カルマルの町のすぐ近くに立地し、町もまた城壁に囲まれていた。

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カルマルはスウェーデンの主要都市の一つとして繁栄し、1397年にはデンマークの摂政マルグレーテの主導でデンマーク・スウェーデン・ノルウェーによる同君連合の結成がカルマルの地で取り決められ、カルマル同盟が成立した。
しかしデンマーク主導の体制にスウェーデンは反発し、独立運動を経て1523年にグスタフ・ヴァーサがスウェーデン王に即位してカルマル同盟から離反し、スウェーデン王国が成立した。
カルマル城はこのグスタフ・ヴァーサとその子エリク14世とヨハン3世によってルネサンス様式で改修され、さらに攻城戦術の変化に伴って大砲に対抗した城壁や稜堡が増築されるなど、強化が進められた。
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1611年から始まったカルマル戦争ではカルマル城をめぐる攻防戦も一つの焦点となり、デンマーク王クリスチャン4世はエルヴスボリを攻略したもののカルマル城は落とせなかった。
やがてスウェーデン王グスタフ・アドルフが反撃し、1613年にはデンマーク優位のもとで講和条約が結ばれたが、カルマル地方はスウェーデンが守り抜いた。
その後、スウェーデンはグスタフ・アドルフの軍制改革によってヨーロッパ随一の軍事国家となり、カルマルはスウェーデン海軍の主要基地となった。
1657年に始まるカール・グスタフ戦争ではデンマークを破ってスコーネ地方を奪ったが、これによって国境線が南に下ることとなり、カルマル城の重要性は低下した。
さらに1675年に始まる、スコーネ地方奪還を目指したデンマークとのスコーネ戦争でカルマル城は荒廃し、スウェーデン海軍の主要基地は1680年に建設されたカールスクルーナに移転することとなった。

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|所在地|スウェーデン、スモーランド地方カルマル県カルマル|
|現存状態|現存|
|城郭構造|平城|

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