Top > カステルグランデ


*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

モンテベッロ城、サッソ・コルバロ城と並ぶベッリンツォーナの3城の1つで、その中でも最大の規模と最古の歴史を持つ。
ベッリンツォーナはイタリアのミラノから北に約40キロメートル、アルプス山脈の麓に位置しイタリアとスイスの国境を押さえる要衝の地であり、古代ローマ時代から都市が発達し、武装化が進められた。
カステルグランデの起源は4世紀に築かれた要塞で、神聖ローマ帝国によるイタリア政策が盛んに行われた10世紀から11世紀にかけて要塞の強化が進められた。
カステルグランデはベッリンツォーナの3城のなかで最も低い、市街地の背後にある丘の上に築かれている。城壁はあるものの全体としては防御力には乏しい構造であり、トッレ・ネラとトッレ・ビアンカと呼ばれる2基の城塔はベルクフリート(主城塔)ではなく簡素な城塔であり、城館もまた住居としての性格が強い。

#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

12世紀以降、スイスは神聖ローマ帝国の諸侯や北イタリア諸都市との抗争の舞台となり、1291年にはウーリ州・シュヴィーツ州・ウンターヴァルデン州が永久盟約を結び、原初同盟が成立した。後にカステルグランデはこのウーリ州にちなんでウーリ城とも呼ばれることになる。
戦いが激化する中で、ベッリンツォーナでは防御に不安があるカステルグランデに加え、本格的な城郭であるモンテベッロ城、サッソ・コルバロ城が築かれた。
このように1つの都市に3ヶ所も城が設けられた例は珍しく、スイスではシオンなどでも見られるが他の西欧諸国では見られず、スイスの城郭に特徴的なものといえる。
またベッリンツォーナの武装は古代ローマ時代から中世を経て近世まで続けられていたため、古くからの遺構が良好な状態で保存されている。
このようにカステルグランデをはじめベッリンツォーナの3城は、アルプスの戦略的拠点を守る中世後期の城塞モデルとして高い評価を受けており、2000年に「ベッリンツォーナ旧市街の3つの城と防壁・城壁群」として世界遺産に登録され、2010年には日本城郭協会によって「ベリンツォーナの3城」として[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]に選定された。

}}}

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|スイス、ティチーノ州ベッリンツォーナ|
|現存状態|現存|
|城郭構造|丘城|

*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,10,)



ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS