Top > アベリストウィス城


*現実の城情報 [#information]

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ウェールズ地方の西部沿岸、カーディガン((ウェールズ語読みではケルディジョン))湾に面し現在では保養地と大学の町として知られるアベリストウィスの城。
エドワード1世によって建造された[[アイアンリング>日本100名城#b2a2238d]]の一員。
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アイアンリングの他の城と同様、エドワーディアンと呼ばれる集中様式を採用した城郭で、菱形の主郭は2つの塔を持つ城門塔といくつもの城壁塔で防御されていた。
現在では外郭のいくらかの城壁と主郭の東正面および北西側に城門塔が崩れかけの姿で残っている。
城内の一角には世界大戦に従軍した戦没者を追悼するメモリアルモニュメントが立っている。

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1110年ごろ、ノルマン人貴族ギルバート・ド・クレアによって初代の城がモットアンドベイリー様式で建てられた。
この城は現在地よりも1マイル離れた町の南側高台に建てられ、新城が築かれたあともしばらくは並存して使われた。
ちなみにこのギルバート・ド・クレアの次男が[[ペンブルック城]]の項の初代ペンブルック伯ギルバートであり、また[[カーフィリー城]]を築いたギルバート・ド・クレアは長男の家系の子孫((曾孫の曾孫))にあたる。
ちなみにこのギルバート・ド・クレアの次男が[[ペンブルック城]]の項の初代ペンブルック伯ギルバートであり、また[[カーフィリー城>ケルフィリー城]]を築いたギルバート・ド・クレアは長男の家系の子孫((曾孫の曾孫))にあたる。
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現在地に改めて新しい城が築城されたのは、1277年のエドワード1世のウェールズ侵攻の時期からである。
築城途中の1282年にウェールズ勢の攻撃を受け落城し、城は新旧両方とも町もろとも焼き払われたが、その後も築城技術者マスター・ジェイムズとその同僚マスター・ジャイルズの指揮の元で建設が続けられ1289年に完成する。建築費用は4300ポンドの巨費に達したという。
1404年からオワイン・グリンドゥールの反乱により4年間に渡って占拠され、1408年の秋に数ヶ月の攻城戦の末に開城した。
その後はウェールズ統治の拠点のひとつとなり、1637年には城内に王立の貨幣鋳造所が設置された。しかし内戦で王党派にくみしたため、1649年にクロムウェル軍の攻撃を受けて破壊された。
城跡は20世紀に入ってから市立公園として修復整備され、一般に公開されている。

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|所在地|ウェールズ、ケルディジョン、アベリストウィス|
|現存状態|城門、城壁跡|
|城郭構造|集中式城郭|

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