平安時代末期の治承年間(1177~1181年)に常陸大掾氏の一族である鹿島政幹によって築かれたとされる。 鹿島氏は源頼朝から鹿島神宮の惣大行事に任じられて以降同職を世襲した家柄で、鹿島神宮の一部は鹿島城の縄張に囲い込まれていた。 大永3年(1523年)に鹿島義幹が大改修を行ったが、改修工事の強行が家臣の反発を招き内紛を引き起こしたと『鹿島治乱記』は伝える。 以後の度重なる内紛で鹿島氏は弱体化し、天正19年(1591年)に佐竹氏による南方三十三館仕置で一時滅亡する。 その後徳川家康の許しを得て鹿島氏は再興し、鹿島惣大行事家として鹿島城をに居城し明治維新に至った。
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