鷹留城 のバックアップ(No.1)

現実の城情報 Edit

「上州の黄班」で知られる長野業正を出した長野氏が、箕輪城に移るまで本城としていた城。
鷹留城を築いたとされるのは長野尚業で、長野氏の菩提寺である長年寺が文亀元年(1501年)に建立されたことから、鷹留城はそれ以前の明応年間(1492~1501年)に築かれたとされる。
城が位置する室田の地は長野氏の本領である長野郷に属し、信州街道や草津街道が通る交通の要衝であり、鷹留城は長野氏の本城として機能した。
箕輪城と同じく榛名山から伸びる尾根上に築かれ、東西約400メートル、南北約350メートルの規模で、北側の本郭と南側の南郭をつなぐように細長い曲輪があり、それぞれが堀で仕切られ、周囲には腰曲輪が設けられていた。
長野氏の本城が箕輪城に移ってからも一族が置かれ、箕輪城とは別城一郭の関係として互いに連携して機能し、数多くあった箕輪城の支城のなかでも最重要の支城だった。


所在地群馬県高崎市下室田町
現存状態堀切、土塁など
城郭構造山城

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