駿河朝日山城(岡部城) のバックアップソース(No.2)
*現実の城情報 [#information]

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国人領主、岡部氏の本城である。岡部氏は鎌倉時代より岡部郷一帯を支配、初期の居住地は藤枝市仮宿の御屋敷付近という。室町期に入り朝日山に本拠地を構えた。
城への登城は、城山と静大農学部間の谷地を進み稲荷神社の鳥居をくぐって参道を登る。左側に谷を利用した堀が平行する。山頂の稲荷神社本殿のところが二の曲輪で、その後方に低い土塁を巡らす本曲輪がある。
城跡一帯は現在、ミカン畑や茶畑に開墾されて、かつてはどうなっていたのか判断の難しい状態にある。その中でも山頂の神社境内が最も良く遺構をとどめ、本曲輪は西向きの舟形状となっている。そして北側に厚い土塁を設け、曲輪全体の縁にも低い土塁をまわす。
本曲輪を頂点に、東に向かって数段の平場のある国人土豪の典型的縄張りを持ち、本曲輪から西に向けて尾根を降りると、広い平坦地となる。そこから先の尾根筋には、2~3本の堀切が浅く残っている。南北100m、東西200mが城域である。

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岡部氏は藤原南家工藤氏流の一族で、鎌倉幕府に仕え岡部郷に入った。南北朝以後は、今川氏に仕えて歴代重臣の座にあったため、領国外に在地する事が多かった。そして今川氏親の頃から武田氏の支配期までの間に目覚ましい功績を挙げた。[[高天神城]]最後の城主となった岡部丹波守元信は、天正9年(1581)4月23日、壮烈な突撃を行い、全員討死した。この岡部元信は、岡部氏の惣領である。
その後、庶流の岡部久綱の子正綱が徳川氏に仕え、天正10年(1582)甲州征伐に功績を残し、その子孫は和泉国[[岸和田城]]主となった。
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  出典「静岡県古城めぐり 静岡新聞社」

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|所在地|静岡県藤枝市仮宿堤ノ坪|
|現存状態|曲輪、土塁、堀など|
|城郭構造|連郭式山城|
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