須々万沼城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報須々万沼城は周南市の山間の盆地にある、三方を沼に囲まれた低い丘の最上部に本丸を置いた東西150m、南北100mほどの城であった。 続きをクリックで表示 天文24年(1555年)10月、厳島の戦いで大内軍の主力陶晴賢を破った毛利元就はすぐさま大内氏領周防・長門侵攻作戦を開始、調略と合戦で周防国東部を平定した。(鞍掛山城?合戦・宇賀島水軍平定など)
沼をわたる女伝説クリックで表示 須々万地区には沼城の戦いを物語る哀話として「沼をわたる女」伝説がある。 毛利元就は北から沼城を見下ろす緑山に、小早川隆影の一隊は南から日隈山に陣取り沼城を攻めたが、山崎伊豆守は近くを流れる小辻川を東の山の狭いところでせき止め、城の南にある沼を広げて、毛利軍が攻め寄れないようにした。低い土地は一面の水浸しになりますます攻め込むことが難しくなり勝敗はつかず1年がたった。 恋ふ人は沼の彼方よ 濡れぬれて わたるわれをば とかめ給ふな 出典:山口の伝説 編/山口県小学校教育研究会国語部 出版/日本標準 コメント |
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