韮山城 のバックアップ差分(No.4)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 静岡県伊豆の国市にある龍城山に築かれた平山城。 現在は土塁等の跡が残ってる。 世界遺産に登録された韮山反射炉から少し北にある。 反射炉を作成した江川坦庵の江川邸の直ぐ側で、韮山(伊豆の国市)では、源頼朝と江川坦庵が押しが強いが、韮山城にはあまり関係ない。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 韮山城を築いたのは、堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守で、堀越公方足利政知の子の足利茶々丸を後北条氏の北条早雲(当時 伊勢宗瑞)が攻め勝利し足利茶々丸は伊豆を追放された。 沼津市にある興国寺城から伊豆を支配する中心として、韮山城を居城にして本格的な築城をした。 後北条氏は関東を支配すると小田原城に居城をうつすが、北条早雲の時代は韮山城が居城で北条氏綱の時代に小田原城に居城をうつしたと言われている。 豊臣秀吉の小田原攻めで、小田原城の支城として、約4万4100人の軍勢を約4000弱で10倍以上の軍勢を相手に3ヶ月持ちこたえた。 後北条氏滅亡後には、徳川家の譜代内藤信成が城主になり、関ヶ原の戦いで4万石に加増され駿府城を与えられると廃城となった。 #br 後背の山の頂部に天ヶ岳砦を築き、そこから派生する尾根は堀切で遮断して山麓に4つの砦を配し、総合的に見ると厳重な造りである。 韮山城は常時の居城と山麓の砦としての役割があり、天ヶ岳を利用して各砦への移動を図る構造だったと思われる。 往時は周囲の田園も湿地帯だった可能性があり、大軍の展開はしにくかっただろう。 #br 交通は新幹線で三島駅より伊豆箱根鉄道駿豆線の韮山駅より徒歩約15分。 韮山駅でて右へ進み、突き当りを右折し江川邸の案内看板どおりに道なりに進めば到着できる。 歩きたくないなら、1つ先の伊豆長岡駅「観光周遊型韮山反射炉バス「歴バスのる~ら」がでている江川邸で降りる。(バスのネーミングセンス・・・) 自動車の場合は、新東名長泉沼津ICより伊豆縦貫道を通り大場・函南ICで降り136号線を南下八坂神社交差点を左折道なりに江川邸の案内看板どおりに進めば到着する駐車場は江川邸の駐車場を利用。 江川邸駐車場からは、共通で郷土資料館方面に徒歩5分程度。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|静岡県伊豆の国市韮山| |現存状態|堀、土塁など| |城郭構造|平山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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