阿志岐山神籠石 のバックアップソース(No.2)
*現実の城情報 [#information]

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阿志岐山神籠石は平成11年(1999年)に発見された全国で23城目となる古代山城である。神籠石を冠した名前に馴染みが浅く、阿志岐城跡として名が残る。
文献に登場しない神籠石式山城として分類され、多分に漏れず版築土塁に列石と、いくつかの水門跡が発見された。宮地岳山頂から阿志岐の尾根へと城跡はつづき、第3水門の列石は8段積みで幅23メートル、高さ3.7メートルと、当城跡においては最大規模を誇る。
戦後の調査においては阿志岐山神籠石を含め近隣には複数の古代建造物跡が発見された、またはされつつあるため、出土したものすべてを阿志岐山神籠石と関連付けることはできない。
平野の南方に位置する牛島宮崎遺跡でも溝状遺構と9世紀ごろに埋没したとされる土師器・越州窯系青磁が発見された。なお、阿志岐山神籠石のある宮地岳は私有地のため立ち入りの見学はできない。
(神籠石式山城の性格と詳細は[[御所ヶ谷神籠石]]を参考にしてほしい)

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|所在地|福岡県筑紫野市宮地岳山頂|
|現存状態|版築土塁、列石、水門|
|城郭構造|古代山城(神籠石式山城)|
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&color(White,Maroon){神籠石式山城と朝鮮半島の山城との共通点(クリックで表示)};
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**神籠石式山城と朝鮮半島の山城との共通点 [#n882a6a1]

朝鮮半島の古代山城の列石の特徴と神籠石の特徴においては時代によって大きく異なる。神籠石式山城における一段だけの列石は、現在のところ百済の時代に築城されたであろう金馬都土城にその類似点を見るのみである。
城周はそれほど大きくはなく、450メートル程度と小規模な山城であるが、日本の古代山城との比較をおこなう上では重要な城である。
北壁側の土塁調査によって内托版築土塁の外面基部に厚さ20センチほどで長方形の割石が確認された。東の壁側にも同様の工法と列石が確認されている。
他方、北部九州型神籠石式山城の石材加工(切石前面上部鍵型加工)と同様の技法を以て切り出された列石群は、朝鮮半島における発掘調査や研究でははっきりとした解答がなく、いまだその全貌の解明には至っていない状態である。朴淳發氏は益山王宮里遺跡の''墻''(かき)の石材加工が似ていると主張するが、いまのところ推論の域を脱しない。もっと発掘調査、現地踏査、新たな文献の発見が進めば現状の進展は望めるであろう。ただ、今現在は築城工法の基礎部分においてはいくつかの共通点を見出すことはできるが、肝心な切石・列石をはじめとする神籠石式山城独自の技巧が目立ち、朝鮮半島の古代山城との明確な類似点は発見されていない。

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