門司城 のバックアップ(No.6)
現実の城情報別名を門司関城というが、その名の由来は、8世紀ごろよりこの地において船舶の通行料を徴収する関所を「門司の関」と称したことに因み、多くの歌集で「文字の関」の枕詞とともに登場する。 続きをクリックで表示 門司城が文献上で初めて顔を出すのは正平19/貞治3年(1364年)の下総親尚軍忠状で「昨年七月十九日真夜中に門司関城に取り上がり、山城要害を築城中であったが、同二十一日に菊池氏の代官鞍懸中務丞や宮方についた門司氏一族が攻め寄せた」との記述が残る。 現在、関門海峡に面するノーフォーク広場には錨のモニュメントが展示されており、関門橋を背景に船舶が行き交う光景も楽しむことができる。
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