長岩城 のバックアップ(No.1)

豊前の国の守護職宇都宮信房は弟重房に下毛郡野仲郷を分与した。重房は姓を野仲と改め建久九年(1198)に長岩城を創築した。以後野仲氏二十二代、三百九十年間の居城となった。

この城は高い山や深い谷窪、岩壁等の天険の要害を取り入れ、石塁、砲座、塹壕等にて防備を補強した山城である。二十余ヶ所に点在する石塁の長さは、延七百メートル余の長さに達する。戦国時代の山城としては、九州における最大規模のものであり、尚銃眼のある石積櫓は全国に類例をみない貴重な文化遺跡である。

野仲氏は次第に勢力を拡大し、下毛郡の政治軍事を掌握し、凡そ四百年間、下毛郡の統治者として栄えた。全盛時代の所領支配は、宇佐郡、下毛郡の一部にまで拡大した。その間、元寇の役や、玖珠城の戦、大友義鎮(宗麟)の乗攻等で下毛郡の勇者として強豪振りを発揮した。
然し天正十六年(1588)には、後藤又兵衛を先陣とする黒田長政の精兵三千五百騎の大軍に攻められ、迎え討つ長岩軍は城主・野仲兵庫守重兼以下一族郎党七百余、合せ総勢千五百余、難攻不落を誇った堅城に楯籠もり勇戦したが、多勢に無勢、遂に落城し、野仲一族は自決滅亡した。以後廃城となる(『城址案内板』)。



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