文明元年(1469年)に岩松家純が築いた、日本100名城、関東七名城に数えられる城。新田金山城、太田金山城ともいう。 岩松氏はやがて横瀬氏に実権を握られるようになり、永禄3年(1560年)に横瀬成繁は金山城主の岩松守純を追放して自ら城主となった。 成繁の子国繁がは新田氏の故地にちなみ「由良」と改姓し、戦国大名としての地位を固めた。当時の関東は北条氏・武田氏・上杉氏による三つ巴の争乱が繰り広げられ、由良氏は度々同盟先を変えて巧みに立ち回った。 しかし金山城は天正12年(1584年)に北条氏に攻められ、明け渡された。北条氏時代は長くは続かず、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐によって金山城は廃城となった。
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金山城は標高239メートルの金山山頂に築かれた実城を中心に、そこから樹根状に広がる尾根や谷などを巧みに取り込み、曲輪や堀切を設けた。 15世紀には領主が要害を恒常化する例が見られるようになるが、金山城もその代表例の一つとして注目される。 石垣や石敷きを多用しているのは特筆され、石垣山城以前の戦国時代の関東の山城に、本格的な石垣はないとされた定説が覆された。
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