蓬原城 のバックアップの現在との差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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鹿児島県志布志市有明町蓬原。
鹿児島県志布志市有明町蓬原(ふつはら)。
鹿児島県東部に位置し、志布志湾に面したこの地に、この城は存在していた。
蓬原城は、菱田川の西側にある独立した丘陵上に築かれていたらしい。
城郭は空堀によって三つに区切られ、南側の郭が本丸だったらしい。
築城年代は定かではないが、平安時代末期に救仁院平八成直が築き、その後は救仁郷氏の居城となっていた。
延文4年(1359年)、島津氏6代当主・氏久と肥後国の戦国大名・相良氏との間で戦い(国合原の合戦)が起こる。

菱田川の西側にある独立した丘陵上に、蓬原城は築かれていたらしい。
城郭は空堀によって三つに区切られ、南側の郭が本丸だったとされる。
築城年代は定かではないが、平安時代末期に救仁(くに)院平八成直が築き、その後は救仁郷氏の居城となっていた。
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&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
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延文4年(1359年)、島津氏6代当主・氏久と肥後国の戦国大名・相良氏との間で戦い「国合原(くにあいばる)の合戦」が起こる。
この時氏久は、[[手取(てどり)城>大隅手取城]]主・岩川氏と蓬原城主・救仁郷氏に援軍を求めたが応じられず、戦いは大敗を喫した。
氏久は、薩摩に帰陣して兵を立て直し、再び肥後へと攻め込んだ際、手取城と蓬原城を攻め落としたという。
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|所在地|鹿児島県志布志市有明町蓬原|
|現存状態|空堀|
|城郭構造|丘城|

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//初めから折り畳みにすると、Edit番号が割り振られませんが、Edit番号の入力は任意でお願いします。
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//&color(White,Maroon){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
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//Edit番号不要、またはEdit番号についてよく分からない場合は次行はコメントアウトしたままにしておいて下さい。
//***(題名を入力してください)

//(本文を入力してください)

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*コメント [#comment]
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