越中古事記に「舟見村古城-東山にある。築城の年代はわからない。」とあり史実上の築城は定かではない。 宮崎城主太郎の摘子「入善小太郎舟見城を構築す」の伝承のあることから、その時期は源平合戦(一一八三)から承久の変(一二二一)の頃と推定される。 入善小太郎が北条軍を迎え撃つ一環として構築したと考えるのが妥当であろう。 降って弘治年間(一五五五~七八)上杉謙信が敵中へ攻め入った、当時の城主飛騨守左近尉が防戦したが破れ、 黒部川断崖より飛び降り最後を遂げたといわれる「飛騨が渕」の地は今も現在する。 平治が続く江戸時代となり、黒部川にも橋梁が築かれるまで舟見城は、宮崎城と共に戦略上の重要な山城であった。