明石藩舞子台場とも呼ばれ、国の史跡に指定されている。 幕末の1863年、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造され、1865年に竣工した。 目的は、淡路島北端の徳島藩松帆台場跡と対になって、両岸から明石海峡を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなかった。 当時の一般的な台場は、上部が土盛り形式であったが、舞子台場は総石垣造であった。 半星形稜堡で幅約70m、高さ約10mという規模で建設されるも、明治時代末の火災により上部が撤去されたため高さ6mとなった。 2003年~2004年の発掘調査で全容が確認されたが、保存のために埋め戻され、現在は台場の一部と石垣の一部が地表に露出しているだけである。
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