神楽城 のバックアップソース(No.2)
*現実の城情報 [#information]

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木井神社の背後の通称「城山」に神楽城は存在していた。周辺は古い城館や屋敷があったとされる場所で、現在も有角氏宅の裏に石組の古い井戸、「殿の倉」と呼ばれる倉庫跡があり、そのほか石垣や登り口も確認できる。
山頂は本丸、二の丸、出丸、土塁、本丸の南北に堀切が城墟として残り、35本の畝状阻塞が本丸を包み込むように廻らされている城であった。また、本丸から南東にゆくとひょろ長い帯曲輪がある。
宇都宮氏の本庄にふさわしい中規模な連郭式山城で、関東の名族宇都宮大和守信房は文治2年(1186年)に源頼朝から豊前の地頭職に任ぜられた。
信房は城井郷を本拠地とし、神楽城を築き、その後数代にわたって神楽城を宇都宮氏の本城としてきた。城井郷に居を構えたため名も城井氏を名乗るようになった。
なお、宇都宮氏が城井谷城に本城を移した後は出城となり、応永年間(1394年-1428年)では城井播磨守直房が神楽城の城主となる。
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城の築かれた山を古くは「高彦山」とよび、神功皇后三韓征伐の際にこの山で天神地祇を祀り、敵国降伏を祈り、凱旋の折、神楽を奏じたため神楽山へ名を改めたといわれる。
神楽山に築かれた城であるがゆえに神楽城というわけだ。ちなみに木井馬場には昔から「横瀬神楽」というものが存在し、5月の上旬に催される。
赤幡神楽の流れを汲む神楽で、自然の恵みを願い、雨乞いには欠かせない神楽として今でも親しまされている。戦後に一度途絶えてしまったが地元の有志により復活した。
昭和50年(1975年)には保存会が発足し、舞い手も観衆も楽しめるものを目指して地域とともにある。本社は若宮八幡宮である。
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|所在地|福岡県京都郡みやこ町犀川木井馬場|
|現存状態|土塁、堀切、畝状阻塞、帯曲輪ほか|
|城郭構造|連郭式山城|
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