神楽城 のバックアップ(No.1)

現実の城情報 Edit

木井神社の背後の通称「城山」に神楽城は存在していた。周辺は古い城館や屋敷があったとされる場所で、現在も有角氏宅の裏に石組の古い井戸、「殿の倉」と呼ばれる倉庫跡があり、そのほか石垣や登り口も確認できる。
山頂は本丸、二の丸、出丸、土塁、本丸の南北に堀切が城墟として残り、35本の畝状阻塞が本丸を包み込むように廻らされている城であった。また、本丸から南東にゆくとひょろ長い帯曲輪がある。
宇都宮氏の本庄にふさわしい中規模な連格式山城で、関東の名族宇都宮大和守信房は文治2年(1186年)に源頼朝から豊前の地頭職に任ぜられた。
信房は城井郷を本拠地とし、神楽城を築き、その後数代にわたって神楽城を宇都宮氏の本城としてきた。城井郷に居を構えたため名も城井氏を名乗るようになった。
なお、宇都宮氏が城井谷城に本城を移した後は出城となり、応永年間(1394年-1428年)では城井播磨守直房が神楽城の城主となる。




ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS