畑谷城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報「北の関ヶ原」慶長出羽合戦において最初の激戦地となった城で、山形城の最上氏と米沢城の伊達氏や上杉氏との境目の城にあたる。 続きをクリックで表示 慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦において、上杉氏は直江兼続を総大将とする約2万の軍勢が9月8日から最上領へと進軍した。上杉軍は9月11日に畑谷城に集結し、12日から攻城戦を開始し、畑谷城では最上家臣の江口五兵衛光清以下約500人が籠城したが、激戦の末13日に落城した。この時兼続は「城主江口五兵衛父子共、頸五百余討取候」と秋山伊賀守宛ての書状に記している。 畑谷城は村山地方と置賜地方の境界に築かれ、北から西にかけては山形から山辺・簗沢・摂待を経て置賜地方へ、南には山形から門伝・摂待・中山を経てこちらも置賜地方へ通じる街道が通り、街道を監視する役割も担っていた。
コメント |
Published by (C)DMMゲームズ
コメントはありません。 Comments/畑谷城?