畑谷城 のバックアップ(No.1)

現実の城情報 Edit

「北の関ヶ原」慶長出羽合戦において最初の激戦地となった城で、山形城の最上氏と米沢城の伊達氏や上杉氏との境目の城にあたる。
最上氏では元亀元年(1570年)に最上義守が嫡男の義光に家督を譲ったが、義守が次男の義時に家督を継がせようとしていたこともあって義光との対立は続き、義守の娘婿である伊達輝宗が義守を支援するために出兵するなど、不穏な状況が続いた。
天正2年(1574年)に義守・義光父子の対立は再び表面化して天正最上の乱が勃発し、輝宗は義守の要請を受けて出兵し、畑谷口から義光を攻撃した。戦いは義光が勝利し、最上氏の実権を握った義光は反義光派の国人らを討伐し、伊達氏の影響力を排除して独立した。
天正12年(1584年)以降、義光は急速に領国を拡大し、領国の境界に位置する境目の城を新築あるいは増改築し、本城である山形城を中心とする支城網を作り上げた。そのなかでも伊達氏や上杉氏との境界に位置する畑谷城は常に緊張状態に置かれることとなった。


所在地山形県山辺町畑谷
現存状態堀、土塁など
城郭構造山城

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