田丸城 のバックアップ(No.5)

現実の城情報 Edit

延元元年(1336年)に北畠親房・顕信父子が南朝義軍の拠点として砦を築いたのが最初と言われており、伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられた。
康永元年(1342年)、足利尊氏によって落城したが、室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建される。
北畠氏が北勢(伊勢国北部)に拠点を移すと、北畠家の庶流で第5代北畠政郷の四男顕晴が度会郡田丸城に入り、田丸氏を名乗った。
織田信長の伊勢侵攻後、城主の田丸直昌は城を明け渡して織田信長の次男・信雄に仕えた。


所在地三重県度会郡玉城町田丸
現存状態天守台、外堀、内堀、堀切、空堀、石垣、土塁、富士見門、奥書院
城郭構造平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 田丸城の記事きたあああ!待ってた -- 2016-12-03 (土) 20:30:03
    • 安土城が初の本格的な天守を築いたという表現も若干疑問なので書きました。まあ調査待ちだけど。 -- 2016-12-03 (土) 20:40:30
  • 史料上の研究と、遺構が残ってるかどうかは別問題だし、田丸城が安土城より前に天守を持ったというのはまだ最新の研究とは言い難いので、誤解しないでね。 -- 2016-12-04 (日) 11:22:59
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