湯ヶ山城、湯ノ城、玉造城と呼ばれたこの城は、1332年頃湯庄留守職諏訪部扶重が築いたと言われ、幾度もの改修、増築がされた。 その後、湯庄支配の本拠地として、湯氏が代々居城したとされている。 本丸を中心に、四段の郭、土塁、堀切などが設けられた厳重な構えとなっている。
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