徳島城の前身の城にあたり、「猪山城」「渭城」「渭津城」とも呼ばれる。「猪山」の名前の由来は、猪が臥せったような山の形をしているからだという。 伝承では至徳2年(1385年)に阿波守護の細川頼之が築き、家臣の三島外記に守らせたというが詳細は不明。 その後の城主も不明だが、戦国時代には切幡城主である森飛騨守が渭山城を所有し、その家臣が渭山城に置かれていたという。 天正10年(1582年)には四国統一を進める土佐の長宗我部元親が渭山城に家臣の吉田康俊を入れていたが、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による四国征伐の際に康俊は戦わずに城を捨て土佐へ逃れた。 四国征伐後、秀吉から阿波を与えられた蜂須賀家政は最初一宮城?に入ったが、秀吉の命で渭津に移って渭山に城を築き、新たに「徳島」と称した。 『阿淡年表秘録』の天正13年6月22日条には「名東郡一宮ニ御居城、秀吉公ノ仰セニヨリ、名東郡富田庄猪山城ニ御居城、御経営ヲ定メラレ、且ツフハ渭津ヲ改メ徳島ト号ス」と記されている。
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