浪岡城 のバックアップ差分(No.3)

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*現実の城情報 [#information]

浪岡城は青森県青森市浪岡に築かれた、浪岡北畠氏の居城。勝山館や志苔館、[[根城]]と並び、北日本の代表的な中世城郭として知られる。
1940年(昭和15)年2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。
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浪岡は9~17世紀にわたって地域の政治的中心であり、浪岡城は1460年代に北畠顕義が浪岡川や正平津川などの流れに挟まれた台地上に築いたという。
城を構成する内館・西館・北館・猿楽館・検校館・東館・無名の曲輪・新館という八つの曲輪は、いずれも単独で居館として機能できるほどの規模だった。
それぞれの曲輪は二重から三重の堀で区切られて直接はつながっておらず、独立した八つの曲輪が複合した城郭といえる。
この構造は領主と家臣という縦のつながりよりも、一族間の横のつながりを反映しており、東北地方の地域性を表している。
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浪岡城は浪岡川や正平津川などの流れに挟まれた台地上に位置し、1460年代に北畠顕義によって本格的な築城が行われたという。
城を構成する八つの曲輪はいずれも単独で居館として機能できるほどで、独立した八つの曲輪が複合した城郭といえる。
この構造は領主と家臣という縦のつながりよりも、一族間の横のつながりを反映したものであり、東北地方の地域性を表している。
城主の北畠氏は「浪岡御所」の敬称で呼ばれ勢力を築いたが、天正6年(1578年)に大浦為信に攻撃され、浪岡城は落城した。
浪岡城最後の城主北畠顕村はこの時自害したとも、[[脇本城]]の安東愛季を頼って落ち延びたともいう。
浪岡城は勝山館や志苔館、[[根城]]と並び北日本の代表的な中世城郭として知られ、昭和15年(1940年)年2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された。

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|所在地|青森県青森市浪岡|
|現存状態|曲輪、空堀、土塁など|
|城郭構造|群郭式平城|
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